学生時代から
全てバイト代は全部、旅と酒に消えていく
そんな人だった。
そこに、たまたま写真という要素がピタッとはまって
大学生の時に初めて
ニコンのF90というフィルムカメラを買った時の感動は
多分一生忘れない。
なんでそのカメラを選んだかって
充電とかできない海外でも
アタッチメントを使えば単三電池でも動くから、
が一番の理由だった。
単三電池ってどんな国に行っても、だいたいあるんだよねー。
それを陸上自衛隊が使ってるというふれ込みの
完全防水の缶みたいなやつの中に
カメラのクッションになるように自分でカメラバックみたいに改造して。
どんな辺境地にも行ってたなー。
この頃のモンゴルってまだ定期航路がなくて
チャーター機で入った記憶があるし。
英語もほとんど通じないロシア語優勢の時期だったことだけは
はっきり覚えてる。
そのチャーター機の中で
当時、24時間働けますか♪の、いかにも昭和な
今じゃ考えられないCMで有名だった
時任三郎さんと隣だったなー。
そしてこの写真のグンチンも
私のことめっちゃ気に入ってくれて
追っかけてくれてたのもの覚えてるwww
94年ってこの刻印みたいな日付が入ってるのも
なんか昭和っぽくて懐かしいけど。私が19歳とか20歳ってことかー
イモくさいけど、この頃はこの頃でめっぽう楽しんでたなー。
このモンゴルの旅って私すごい
割と人生の中で印象的な旅で。
その後、教育実習生として行った学校でも
わざわざ授業させてもらったりもしてたな。とか。
なんか色々思い出して楽しいなー。
この頃から、私はやっぱり
景色よりも人にしか興味なかったのはよくわかる。
人の写っていない写真は、極端に、少ない。
あとは高校生の時に、冗談で
私、モンゴル人とのクウォーターなんですって行ったら
誰も疑わずに
職員室で話題になっちゃったり🤣
実際モンゴルでも現地の人に
めっちゃ普通にモンゴル語で話しかけたれたりしたなー
とか。
私、顔つき的にどこかモンゴルっぽいんだろうか。笑
なんか色々思い出したことも
つれつれとかけるのが
ブログのオモローなところですね。
そして私。ほんとこの頃から
どこの国に行っても言葉通じなくても
なんとなくこうやって現地の人たちに紛れ込んで
生きてたんだろうなー。
全員モンゴル語しか話せないのに
なにをどうやって楽しんでたのかわからないけれど。
こうやって誰かのモンゴル靴履いてるし、
すんごい楽しく話してた記憶しかないし。
お腹壊すからやめろと言われても馬乳酒飲んでたなー。
これは私の紛れもない強みだということを
あまりにも当たり前すぎて
教えてもらうまで気づいてなかったけど。
きっとそのうち伏線回収みたいに
いろんなことがピピピって繋がるんかな。^^
楽しみ♡