受験暗記数学と空手 | masayaの雑記帖

masayaの雑記帖

日々の感覚を記録し、成長の糧とするための自己満足のメモ帳です。

数学嫌いの分かれ道、「みはじ」の深くて暗い川

>どうやら小学生向けの塾から発生したらしいのだが、小学生向け算数教育に「みはじ(道のり、速さ、時間)」あるいは「はじき(速さ、時間、距離)」と呼ばれる手法がある。子どもが引っかかりやすい「距離と速さと時間」の関係を、簡単な手順として覚えさせるというものだ。これを覚えると、小学校レベルの距離と速さと時間の問題は誰でも機械的に解けるようになる。
> が、これは極悪な学習法だ。なぜなら、この手法を覚えても、距離と速さと時間の関係を理解することにはならないから。




こういう記事を見るといつも思うのだが、そもそも暗記数学教育のダメさを説明している内容が、それを必要としている文系向きじゃない。
指数対数とか三角関数の有意義さについての文章を、「はじき」とか「みはじ」の極悪さを知って欲しい文系層が読むだろうか?

私が「はじき」がダメという話をする場合、話を発展させるのは指数対数や三角関数の方向ではなく、「損益分岐点」の話だ。これならば文系サラリーマンの多くは触れる話ではないだろうか?

よく資格試験の参考書では損益分岐点売上高を求める公式が載っていたりする。しかしあれを丸暗記するだけでは「利益を〇百万円出すための売上高は?」とか「売上高◯千万円の時の安全余裕率は?」という問題には対応できない。対応するためにはすべてのパターンの公式を暗記するはめになる。
しかし損益分岐点売上高を求める公式など覚えなくても、損益分岐点とは「y=ax+bとy=cxの交点である」という理解が出来れば、あとは様々なパターンに対応可能だ。だから公式暗記ではなく、要素関係の理解が必要なのだ、という話だ。

ついでに言うとこの記事は本題に入る前に野坂昭如だの黒人霊歌だのについて長々述べているから、理系向きでもない。数学教育についてふだんから興味のない人は、読み始めても途中でやめてしまうんじゃないだろうか?



余談だかこの問題はある種の空手でも同じである。
型の手順のみを覚えて(つまり公式暗記)昇級昇段してしまうという間違った成功体験をしてしまうと、覚えた型を掘り下げてみることもなく、昇級審査昇段審査に挑戦するために次から次へと新しい型を覚えることが空手の稽古だと思ってしまう人がたまにいる。