昼から播州織の歴史がわかる!との事で

西脇市郷土資料館へ行って来ました



 

スマホを忘れていなければ

機殿神社の織物感謝祭を観てから

11時に行く予定だったのですが

 

そうすると予定がつまりすぎてただろうしあせる


一旦、家に帰って休息してから

15時にして良かったカモですひらめき電球

 

11時は、人も多かったようですが

15時は、私いれて3人だけでした


人が少ない方が良かったので

スマホ忘れて良かった笑笑


 

西脇市は加古川が氾濫して

川沿いが整地されるごとに市が発展し

織物業も発展していったそうですひらめき電球


2004年に台風の影響で

加古川が氾濫しました


氾濫した事があるのは覚えてるけど

どんな感じだったのか覚えていません

西脇市に住んでいなかったしあせる

 

市街地の変容写真↓

 

江戸時代は姫路が西脇市の領地でした↓

 

時代が進むにつれ

いろんな藩が西脇市をおさめていました


織物が盛んだったけれど

綿花栽培は加古川や印南(稲美町)で

盛んだったそうで

 

西脇市では、家で少し育てている

程度くらいだったそうですあせる

 

江戸時代中期、宮大工だった

飛田安兵衛さんが

京都の西陣織から、その技術を持ち帰り

機織りの織機を改良し

そこから発展したそうですひらめき電球

 

飛田安兵衛さんの石碑↓

日本のへそ公園にあるそうです


新渡戸稲造さんの名前も書かれてるそうです

 

明治時代に播州織という言葉が

誕生したようで

それまでは別の名前で呼ばれていたそうで

説明されていたけれど忘れてしまった驚き

 

 


東南アジア等への輸出が盛んになり

第一次世界大戦の時は

織物業も儲かったそうですが

 

第二次世界大戦が始まり

金属等を供出しないといけなくなり

織物が織れなくなりました


輸出と輸入のグラフもあったけれど

それも写真で撮っておくんだったあせる



海外に播州織を輸出していた事を
あまり知らなかったので
逆にビックリでした



ヤシマグ柄の織物も展示してありました↓



どこの国だったか(アラブ系の国)

偉い人が頭に巻いてたりしてたそうです


写真見せてもらったけれど

忘れてしまいました・・・


そんな遠い国にまで

輸出していた事にビックリびっくり


 
日本は、海外の貧しい国で
生産したモノを輸入して
大量生産してるイメージのが強かったから汗
 
輸出がドンドン減少し
国内で生産したモノを
流通させているのも
減少はしてはいるものの
 
今は大量生産の時代ではなくなり
小ロット多生産の時代になってきてると
言われてました
 
コレからは個性の時代だから
いろんなモノを少し作るのが
時代にあってるのでしょうひらめき電球


その方が個人的に良いと感じます
 
大量生産して廃棄処分する
衣類の量を考えると・・・汗
 
 
資源だって限りがあります汗
 
 
貴重な資源を大切に使う

自分ができる事はしれてますが
何も始めなければ
何も変わらないと私は感じますにっこり

 

染色をしてた様子の模型↓

 

昔は藍や草木で染色するのが主流でした

現在は色彩が多彩になり

染色の技術がスゴイ

アパレル業界で言われているそうですひらめき電球



播州織は先染め織物なので

多彩な色で複雑な織物を織るのが魅力です

 

 

糸を巻き返してる模型なのかな?↓

 

コレは、ジャガード織の

柄を作ってる様子だそうです↓

 

シャットル織機↓

 

初期の機織り機です↓

つたない説明しかできませんが

スミマセン驚き

 

 

ジャガード織の織物が展示してあります↓

写真も柄にできる所がスゴイ所ですびっくり

 

 

織物を海外へ輸出する際に

中に入れていた中入れ札だそうです↓

ご自由に、お取り下さいと

書いてあるのでもらえますひらめき電球

 

 

私は、コチラをもらいました↓


第二次世界大戦で戦争に負けた後

輸出する際はアメリカの占領下だったため

MADE IN OCCUPIED JAPAN

書いて中入れ札を入れてないと

輸出できなかったそうですあせる

 

昭和21年から27年までですが

貴重なモノをいただきました

 

入館料は無料です
説明も依頼すればして下さると思います
 
播博の時は11時13時15時と
3回に分けて説明があり

こんな場所がある事を知らなかったので
播州織の歴史を少しでも知る事ができて
良かったですひらめき電球
 
 
ブログにアウトプット終わったので
しばらく、書類作成に集中致します

 


 

 

できる事から一歩一歩