片割れが生前、病気の為、
ほとんど何も
することが出来なくてね。
仕事もすることが
出来なったんだよね。
でね、
さらに、
薬の副作用で、
いつも意識が
遠のいているような感じで、
意思疎通もハードでね。
その当時の僕たち家族は、
彼をひたすら邪険に扱い、
隠すような生活を
していたんだよね。
家族外の人たちに、
片割れのことを知られるのが、
物凄く恐かった。
本当に恐かった。
今日、
そのような状況の中にいる
家族に会うことがあった。
片割れと
似たような状態なひとが、
家族内にいてね。
動揺しているのが、伝わった。
今ならね、本当わかるよ。
家族も、苦しんでいるってね。
どうしたらいいのか、
さ迷っているってね。
でもね、
隠すことでね、
そのような状態のひとたちが、
さらに、
いいとは言えない
状態になっていく
可能性もあるんだよね。
確かに、
家族も辛いし、
本当に苦しいと思う。
それと同じように、
そのような状態にいるひともさ、
家族がそのような行動をしちゃうと、
傷ついて、後退していくってことをね、
知らないよりかは、
知っていくことが、
できたらいいよなぁとね、
今の僕は思うんよ。
本人も苦しんでいるし、
家族も苦しんでいる。
双方が、苦しんで、さ迷っている。
何かしら
打破というか、
双方の心の状態が
穏やかになっていけたらなぁと、
僕自身の経験を通して、
そんなことを思ったりしたよ。
写真は、
2014年に他界した片割れ。
23歳の頃、
NYに遊びに来てくれた時だよ。
この頃が、分岐点だったなぁと、
今は、思う。
鹿児島にある、
こころの病院を退院した後、
ゆっくりと
社会復帰をね、
させてあげれば
よかったんだけれども、
その当時の父と母が
世間体を気にし過ぎてね。
退院してすぐに
予備校に通わせて、
大学受験をするように、言ったんだよね。
退院した直後は、
意思疎通もできたし
顔色もよかったんだよね。
ただ、
まだ、
びくびくしていたかなぁ。
誰かと関わっていくということが、
まだ、怖かったんだと思う。
本人は、まだ、
そんな状態ではなかったなぁ。
この後、
症状が日に日に悪化してね、
2014年10月に他界したんだよね。
病気が悪化し始めた頃、
処方される薬も強くなっていってね。
薬の副作用と、
喉の渇きからくる
水中毒に悩まされていて、
体重は、
この写真の倍の
110キロ近くもあってね。
とってもきつそうだった。
だからね、
もし、
今、
その当時の弟や
僕たち家族のような
状況にいる人たちにね、
当事者の治療の方法やケアー、
そして、同じように、
その家族のケアーとかさ、
いろんな選択があるから、
リサーチするなりね、
やれることは、
是非、やってほしいなってね、
そんなことを思ったりするよ。
あと、
片割れの名前を
公表しなかったけれども、
片割れの名前は、哉(はじめ)です。
双子だから、同じ生年月日。
帝王切開で誕生したので、
取り出される差で、
兄か弟かになっちゃたんだけれども、
1973年5月3日の午前3時22分に、
まず最初に、
僕が取り出されて、
続く24分に、
哉が取り出されたんだよね。
2分差です。
今日は、
いつか、綴りたいなって、
そう思っていたことをね、
綴りました。
最後まで、この文章を
読んでくれた方、どうもありがとう。
要
写真は、双子の片割れの、哉(はじめ)