私の中で
すっかり過去のものになってしまった言葉があります。
それはね
「願望実現」という言葉。
正直言って、
「願う」ということ自体が、
日常の中でほぼなくなってしまったからだと思います。
それは、
すべての願いを叶えてしまって、
願う必要がなくなったということではありません。
「決める」ようになったからだと思います。
「願う」っていうのは、
どうなるかわからないから、
自分に都合のいいようになってくれって
神様とかに頼むニュアンスですよね。
まあ、確かに
すべてを動かしているのは宇宙なので、
私たちの「エゴ」にとって都合のいいことばかりが
起こるわけではありませんからね。
だとしても、
自分でどういう人生にするのか決めて、
そっちに意識を向けて、
できる行動をしていけば、
だいたい実現するでしょ。
だから、
「願う」より、「決める」ことが圧倒的に多くなり、
「願う」という思考回路が使われなくなってきたんだと思います。
毎朝、瞑想の最後に
「この地上のすべての存在が愛と光に満たされます」
という祈りを捧げているんですが、
それも願いじゃない。
意識をそちらに集中させて、
ある種「決めている」状態なんですよ。
それと、
決めた結果どうなるかにも
あまりこだわらなくなってきました。
決めて、行動し続けること自体が面白いし、
どうなろうと結果は宇宙にお任せしていれば、
思い通りなんて超えた、
思った以上の展開になることが多いので、
結果にこだわらなくなってきたのです。
これから意識の次元が上がっていくと、
「願望実現」という言葉は、
だんだん使われなくなってくると思います。
みんなが宇宙の法則を理解するようになって、
決めるだけでいいことがわかるようになってくると、
「何、願ってんのよ」的な感覚になると思うからです。
「決める」のは私たちがやること。
そっちに意識を向けることも私たちがやる。
そしてもちろん
三次元上で行動をするのも私たちがやること。
だけど、
それによってどうなるかは
宇宙にお任せする。
人類が進化していくと、
「願う」時代は終わり、
「決める」時代になっていくと思います。
このブログを日々フォローしてくださっているみなさんは、
決めることも
意識を向けることも
できる行動を続ければいいことも、
ぜ~~~んぶわかってますよね。
どうぞ、
どんどん時代の先端を行ってください。
そして、
他の人たちにも、
「決めればいいだけ」ということを、
身を持って示し、
ラクにしてあげてください。