明日は父の一周忌です。
亡くなってもう1年も経つんですね。
 
父の肉体は無くなったのですが、
私の心の中には、
生前と同じように生き続けています。
 
 
だから、今も父がいないという気がしません。
 
 
昨年の1月の末頃に、
父の容態が悪化しているから、
今のうちに会っておいた方がいいと
施設から連絡がありました。
 
 
会うと言っても、
コロナ禍真っ最中ですから、
本来は関東在住の家族は、
当時はまだ関東よりも
圧倒的に感染者が少なかった八戸の施設にいる家族に
直接会うことはできませんでした。
 
ベランダの窓越しに、
電話で話すという面会方法でした。
 
 
けれども、
そのときは特別に全身防護服に身を包み、
ベランダの窓を開けて、
生で対面することができました。
 
 
『このままもしも父が弱っていったら、
子どもに看取られることもなく、
亡くなっていくことになるのではないか。
それでいいのだろうか?』
 
『父が亡くなった直後、
独り残された母の側に
誰もいなくて大丈夫だろうか?』
 
そんな思いがよぎりました。
 
当時は八戸在住者なら、
家族だったら施設の中に入れるという決まりでした。
 
 
真鶴に戻って来て、
いろんなことを考えた末に、
今回の一件が収まるまでは、
一旦実家に帰ろうと決めました。
 
住民票も八戸に移し、
八戸在住者になれば、
中に入ることもできるから。
 
 
コロナで、
身内の看取りもまともにできないなんて
本当に腹立たしいことですが、
それでもやり様はあったんです。
 
 
人生には、
自分自身の問題ではないところで、
ままならないこともありますが、
全く道がないということは
実はないんじゃないかと思うんですよね。
 
 
もちろん制限があったり、
できないこともあるかもしれません。
 
 
でも道はある。
 
 
私はこうしたいという
強い意志があるところには、
道は開けるのだと思います。
 
 
昨年の3月末から、
結局約10カ月ほど実家暮らしをしました。
 
その間
仕事をしながら、
両親のフォローや家の後始末や、
父が亡くなった後の様々な手続き、
後見人の申請などしましたが、
想像していた以上に大変でした。
 
寒い寒い八戸も
何十年ぶりかに体験しました。
真冬の朝なんて、
ここは冷凍庫の中かってくらい冷えて、
パジャマから服に着替えるだけで、
凍り付きそうになりました。
 
 
でも、
ご近所さんや親戚の温かさに触れることができたし、
夏はこっちより圧倒的に過ごしやすかったし、
何より両親がしんどい時に、
側にいてあげられてよかったです。
 
 
生きていると、
いろんなことがありますが、
「私はこうしたい」
「私はこの道を進む」という意志があるなら、
きっと道は開けます。
 
 
あなたが本当にやりたいことなら、
あきらめないでくださいね。
 
 
それではまたニコニコドキドキラブラブドキドキ
今日も素敵な一日をキラキラ虹チューリップピンクチューリップオレンジブーケ2ヒマワリコスモスハチ黄色い花チューリップ黄チューリップ赤虹キラキラ