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真夜中に失礼いたします(笑)

 

現在次に出る本の執筆の佳境に入っております。

不思議なことに、執筆の佳境に入ると、伝えたい中枢が刺激されるんでしょうか?

よく分かりませんが、ブログでも言いたいことがどんどん出てくるんですよ。

 

執筆に集中するとブログはお休みという方もいらっしゃいますが、そうならない自分が不思議でもあり、時々迷惑です。

本の執筆にもっと集中すればいいのにって思うんだけど、やりたいことを全部やらないと気が済まないので、伝えたいことを伝えきらないと、本の執筆に戻れなくなっちゃうんですよ。

 

そんな話はいいんですが、お誘いを受けていったんは行くって返事をしたのに、後から行きたくなくなることってありませんか?

 

そういうとき、どういう断り方をしますか?

 

具合が悪いとか、

子どもが病気になったとか、

親戚の葬式と重なったとか、

ウソついて事なきを得ようとしますか?

 

これって誰のためについているウソなんでしょうね。

 

相手が気分を害さないための気遣いでついているウソなのか、

それとも自分が傷つきたくないからついているウソなのか。

 

あなたはどう思いますか?

 

同じウソだとしても、せっかく誘ってくれた相手をガッカリさせたくないなあという本当の思いやりからウソをついているなら、ウソだなって勘付いても、なんかほんのり人肌のぬくもりがあってイヤな感じがしないものですよね。

 

でも自分が傷つきたいくないってことが中心になってると、正直に断る理由を言われるよりも、その不誠実さがかえって相手の気分を害することもあるよね。

 

ウソがばれていないと思っているのは、だいたい本人だけだからね。

ウソかどうかよりも意図がどうであるのか方が私は大事なんじゃないかと思う。

 

もっと困るのが、何が言いたいのかよく分からない断りメール(笑)

 

そういうメールに限って無駄に長文であることが多い。

読んだ時間を返せって思ったりする。

 

昨日ある人に来た断りメールを転送されて読んだ時、つくづく意味不明だなと思った。

 

ありがたいことに私には最近そういうメールは来なくなったけど、

自分の状況を正直に語っているように見せかけて、本当のところはどうなのかは書かれておらず、どうでもいいことがつらつら書かれ、大して感謝もしてないくせに、「感謝しています」で締めくくられたりしている。

何が言いたいのかさっぱりわからない。


 

最大限気を遣ったつもりなのかもしれないけど、逆効果だよね。

めんどくせえって思われて終わるだけのような気もする。

 

もしも相手との絆を大事にしたいなら、正直に自分の気持ちを伝えた方がいいよね。

 

この正直って言うのは、もちろんケンカ売るってことじゃないよ。

カッコ悪くても、自分の情けなさも、しょうもなさもさらけ出すことだから。それが必要以上に相手に重くならないように言葉を選ぶことも含んでいる。

 

正直に自分の気持ちを伝えるということは、嫌われるリスクを取っているってことじゃない。

嫌われるリスクを取ってでも誠実であろうとしているってことは自己開示しているってことじゃない。

 

それはつまり愛だから。

愛は絆を深めるよね。

それがたとえ断りであっても、

クレームであっても。

 

本当に嫌われていいし、縁を切られていいと思うなら、

こういう意味不明のメールも逆に効果的かもね。

あっ、そういえば私も超嫌いな人にこういうメールを書いたことがあったことを思い出した。

そしたらそれ以来、一切接触されなくなったからね(笑)

やっぱり効果あったな。

 

 

意味不明メールを送るなら、相手を選びましょうね。