おはようございます。
久々の雨ですね。
ちょっと涼しくていいですね。
私のパソコンはちょっと古くて、
自分でメモリーを増設したりバージョンアップさせたり、
結構頑張ってきたんですが、
とうとう空きメモリーも少なくなり、
動作も遅くなってきたので、ついに買い替えました
今度のは画面の大きなデスクトップ型で、
メモリーが4GBもあるし、CPUもCore2Duoなので、
かなり動作も早くなるだろうと期待しております。
今週中にセットアップする予定です。
さて、昨日は光とつながる方法についてお話ししました。
今日は、すでにみんな神様と出会っているというお話です。
私が初めて神様の存在を感じたのは幼稚園のときでした。
私の通っていた幼稚園は教会に併設されていて、
朝来ると、教会の前に立っている聖母マリア像にみんなご挨拶します。
お弁当を食べる前にも、おやつの時にも必ず祈りを捧げます。
「父と子と精霊の御名においてアーメン」というやつです。
子供だったので、一体何を意味しているのか
さっぱり分かりませんでしたが、
ちゃんとやっていました。
あるとき、となり組のちょっとリーダー格の女の子が、
みんなで教会に行って、お祈りをしようと言ってきました。
私は教会に入ったことがなかったので、
興味津津だけど、「いいのかな」と思いながらついていきました。
一緒に5~6人くらいは行ったと思います。
そこで彼女の指揮の元に、礼拝ごっこをして遊んでいると、
案の定、先生がやってきて、
「ここは遊ぶところではありません」と注意されました。
でも先生は
「でもね、どうしてもお願いしたいことがあったら来ていいのよ。
神様はきっと願いをきいてくださいますよ。」と言いました。
「そうなんだ!
神様って願い事を聞いてくれるんだ!」
と幼心にその言葉は胸に刻まれました。
またあるとき、いつも一緒に遊んでいる子とちょっとしたことでけんかになりました。
その子は結構強い子で、一度言い出したら絶対聞かない子で、
ちょっと怖かったんです。明日もまたこうだったらどうしよう。
すごく不安になってきて、「そうだキリスト様にお願いに行こう」
と一人で教会に行き、おっかなびっくり扉を開け、
向こう側に見えるキリスト像に向かって、
「あの子と仲直りできますように。また一緒に楽しく遊べますように!」
とお願いしました。
するとそこへ怪しい侵入者の気配を感じたのか、
アメリカ人の神父さんが登場
ギャッ、怒られると思い、「今お祈りしてました」
と言ったら、ニッコリ笑って去っていきました。フゥ~
ああびっくりしたと思って、幼稚園に帰ると、
不思議なことに、その子が園舎の前に立っていて、
私の顔を見るとすぐに近寄ってきて、
「さっきはごめんね。また一緒に遊ぼうね。」
と言ってきたのです。
絶対自分から謝るような子ではなかったのに。
その時は奇跡という言葉を知りませんでしたが、
私にとっては奇跡でした。
ああ、やっぱり神様っているんだなあとその時強く思いました。
それから1年くらい後、
弟が旅行中に事故に遭い、救急車で運ばれたことがありました。
その時、病室の外でまたキリスト様とマリア様に、
「弟が死んだりしないように、元気になりますように」と必死で祈っていました。
すると目の前に、ものすごく優しい表情の女の人が現れ、
「何しているの?」と声をかけてきました。
「弟が怪我をしたので、一生けん命お祈りしてるんです」
と答えると、その女性は
「じゃあ、私も一緒にお祈りしましょう」
と言って、反対側のベンチに座ってお祈りをしてくれました。
お礼を言おうと思って、もう一度目を開けたら、
その人はもうどこにもいませんでした。
一体あの優しい女性は誰だったんでしょうか、、、。
あのときも弟は奇跡的に助かり、
後遺症もなく、今も元気にやっています。
私はキリスト教の信者ではありませんが、
神様っていると思います。
そして私のように、
本当に困ったときに無心で祈ると、
どこからか救いの手を
差し伸べてくれるように思います。
それは誰にでもあることだし、
忘れてしまっているかもしれないけれど、
きっと今までのあなたの人生も助けてくれています。
そして、あなたがつながろうと意図しさえすれば、
きっと何らかのサインを送ってくれるはず
それほど、あなたのすぐ近くにいて、
サポートしたいと思っているように私には思えます。
なんかこの思い出話を語ったら、
キリスト様に会いたくなったので、
今晩はまたクリック↓してくださった方へ感謝をこめて、
キリスト様の祝福と守護のエネルギーを
またまた23時頃から送りたいと思います。
いつも応援・ご協力ありがとうございます。
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