カウンセリングをしていると度々話題となるいじめ。
子供の時に受けたいじめに対する感情・・・怒り、孤独、寂しさ、無力さ、悔しさ。
想像超えた多大なインパクトを、心に与える。
あるクライアントが小学校低学年の時に何年も受けたいじめは、
彼女が大人になっても多大な精神的負担を与えていた。
彼女が可愛くて、はたから裕福に見えたからからだろうか。
クラスの中心的なグループの女の子達が、彼女を仲間はずれにした。
彼女に近づく子に命令して関わらないようにし、彼女は休み時間もいつも一人ぼっちで教室にいたという。
学校に登校してクラスに入る瞬間の緊張を、35年近くのことにも関わらず明確に覚えていた。
大人になっても、人の目がきになって過大に緊張してしまったり、道を歩いていても人目が気になり恐怖を感じたり、
職場でも一目ばかり気にして、言うべきこともいえず、自分の意見を言うことに大変な緊張を感じていた。
彼女の深い深い傷は、どれほど彼女を苦しめてきたか。
トラウマ治療を数ヶ月続ける中で、当時を思い出しては号泣して、辛さを語り、また泣いて、、、
段々と、見える形で彼女の人生に変化が現れてきた。
「外を歩いていても、胸張って歩けるようになりました!」別人のように晴れやかに語る彼女。
心に覆い被さっていた重荷が取り去られたようだったという。
職場でも、人目が気になっても自分の気持ちや見解を語れるようになり、職場の人達の反応も変わってきたと言う。
そんな嬉しそうな彼女を、とても誇らしく思った。
いつも思うのだが、カウンセラーとして私にできることは大変限られている。
サポートはできても、結果が出るかどうかは、本人次第。
彼女のように勇気を振り絞って、辛い、悲しい過去にしっかり向き合った努力は尊敬に値する。
改めて、いじめの残酷さ、罪深さ、影響を考える。
いじめを受ける子供たちには逃げ場がないから、追い込まれ、自分を責める。
自分に対するネガティブな考えが一生、彼らにまとわり続ける。
私自身も、グループではないけれでも、小学校から中学校にかけて、一部の女の子に意地悪された。
中学校1年生のテニス部。
なぜかある一人の女の子は、毎日毎日、私をけなし、笑いのネタにしようとした。
30年以上前の出来事にも関わらず、1年間聴き続けた彼女の卑劣な笑いが、
昨日のことのように私の記憶に残っている。
なぜ彼女が私をターゲットにしたかはわからないが、その影響は大きかったと、
自分自身がトラウマ治療を受けて見えた。
「何かヘマをすると笑われる、隙を与えたら笑いのタネに使われる・・・」
それを防ぐ為には、完璧に振舞わなければならない。
「彼女のいじめが、自分に影響を与えていることを見せてはいけない。」
何でもないように振舞わなければならない。言い返せなかった自分を情けなくさえ思った。
そんな緊張感を、大人になっても感じていることに気づいた。
クリスチャンとして霊的な世界を考えると、彼女の卑劣な笑いは私の心に宿る悪魔を連想させた。
失敗する度に私を笑い、バカにし、惨めな気持ちにしてきた。
私はこの悪魔にどれほど苦しめられながら生きてきたのか、完璧に振舞おうと。
この悪魔を心に抱えながら生きていく必要はない。
ヘマをしても、失敗してもいい。
ヘマをしても、失敗してもいい。
そんな自由を得たことは、恵みだと思う。