以下の文で幸せを感じる文を10個選び、気に入った順に番号で答えてみてください。

1・ 調子が良い時は自分は凄くイケテルと思う。
2・ 小春日和の風は心地よい。
3・ ほとんどの人が自分を気に入ってくれる。
4・ もし自分が動けば問題を解決できるということは明確だ。
5・ 自分は他人と協調できる。
6・ どんな状況でも自分は乗り越えられる。
7・ 気分が良い時はどんなことも自分をへこませない。
8・ 最近誰かに優しくしてもらった。
9・ 今は自分は激しく燃えている。
10・自分の両親は彼等の友達に自分のことを自慢している。
11・明日もきっとあの人に会える。
12・生きていて良かったと思う。
13・自分は今生きる上で必要な沢山の知識を持っている。
14・自分はその全て手に入れる。
15・今の生活はとても便利だと思う。
16・自分は夢を叶える事が出来る。
17・海辺で海に沈む夕焼けを見たい。
18・自分の未来はとても明るいものだ。
19・自分には誰にも負けない得意事がある。
20・仲間に囲まれていると嬉しい。
21・自分は想像力豊かだ。
22・世界にはチャンスが山のようにあり、自分はそれらを利用出来る。
23・最近誰かに優しくした。
24・今は何をしても上手く行く。
25・今まで分からなかったことが分かり始めた。
26・自分が出来ることは明らかだ。
27・自分は勝ち組みだ。
28・社会のプレッシャーは自分の活力になる。
29・これ以上良いことはないほど今は良い。
30・ご飯が美味しい。
31・今まで一度もしたことがなかったことに挑戦して上手く出来た。
32・自分は現実をはっきりと見ることが出来る。
33・朝ベットの中でいつもより30分余計に寝られます。
34・人生は閃光の様だ。今ほど良い気分になったことは今までない。
35・最近人に誉められた。
36・自分を支えてくれている人達、ありがとう。

ご協力ありがとうございました。
空からの冷たい雨もほぼ止まりましたが、心の麻痺は続いたまま目的地である新潟県十日町市に入りました。地元の方々の案内で容易に十日町市役所に辿り着いたのはおおよそ午後十時半。十日町高校と市役所は向かいどうしにあり、横目に雨で水溜りの沢山出来たグラウンドに無数の車が無造作に駐車されているのを見ました。非常事態だということを深く認識しました。その認識は市役所の様子からも強まりました。既に市役所の機能は普段であるのなら完全に停止している時間にも関わらず、建物の中は人で溢れていました。晩秋の夜風の冷たさにかつてどこかで見た覚えのあるような手動式ストーブの中の激しい炎が明るく揺れていました。あたかもそこの人々の心の焦りと動揺が具現したような揺らめきでした。 私の道中の奮闘振りを感知したかの様に役員の一人が丁寧に私をねぎらいました。いや、私の身なりから私の苦労がにじみ出ていたのでしょう。ヘルメットを抱えた、全身ずぶ濡れで手先が震え死相さへ写るその表情を尋常であるとは誰が思いましょうか。ねぎらいを受けたその時、素直に私は人の温もりを感じたことを今でも忘れてはおりません。その夜は地元の市営体育館に泊まるよう指示を受け、しばらく異常なまでの人の活気の中で暖をとりここに来たのと同じように、しかしながらきた時とは違った人間が静かにその場を後にしました。

体育館に着くと話が既に通じているようで体育館の職員は私の存在を認識し、やはり私をねぎいました。体育館の建物の中のロビーは難民キャンプを連想させるように各々が無気力に配給されたであろうおそろいの寝具の中に身を来るんでいました。体育館の職員はそれらの人々を尻目にロビーから体育館の内部へと案内しました。重いドアを両側に押し開けると中は静寂に満ちていました。20分ほど前のと同じ旧式のストーブが幾つか設置されているのが目に付きました。私の体の震えを直感したのか、体を温めろと言わんばかりにその一つのそばの開いているスペースまで私を誘導するとおそろいの寝具一式を私に手渡し「食事は?」と私に問い掛けた事には私は驚かずにはいられませんでした。その質問の真実の意味を直感した私がそれを確信したのは後日のことだったのですが。

一段落した私は改めて自分の状況を認識するために満月の夜の神秘的な静寂にも似た空気を見ました。五十から六十に人たちがひっそりと辺りに存在していました。寝静まっていたのか、沈黙を保っていただけなのか、これだけの人数がいるにも関わらずこの静けさが生み出されると言うことは異常であると認識さぜるえませんでした。近くの人たちと小声でお互いの体験談を語り、語り疲れた頃、その時がきました。その瞬間が来て初めて異常な静けさを私も理解することが出来ました。丁度一時頃でした。ゴゴゴという地唸りを前兆に地が激しく縦に揺れました。ガラス戸が、剥き出しの鉄筋が一声に悲鳴をあげたかのように不気味な音を立てました。誰かが悲鳴をあげました。子供が泣き始めました。縦揺れはすぐに横揺れに変わり私達の体と心を激しく揺さぶりました。記録は震度五であると後に知りました。私の胸は揺れが終わると同時に張り詰めました。鼓動が激しく私は死と隣り合わせであるということを知らされました。言いようのない激しい恐れと不安。言葉を発することが出来ませんでした。動揺して杖をついておぼつかない足で外へ逃げようとるお年よりと悲鳴のような声でそれを止めようとする家族、泣き叫ぶ子供達、布団の上に座ったまま何も言わずに大きく震えている若い女性。誰が彼等を滑稽であると笑えるのでしょうか?誰が何も知らずに「可愛そうね」と言えるのでしょうか?         

英雄を気取っただろう私の一部が痛み出しました。

その後一時間ごとに激しい揺れが続き、四度目の揺れの後ようやく長い夜が終わりを告げました。

一番大事なこと。それは自分の信じることを実行出来る力。それがあるから私は他人の為に自分をすり減らせる。


一番大事でないこと。それは自分の信じることを実行させない力。それがあるから私は他人の為に自分をすり減らせない。
1月0日0時0分00秒、私の精神は解き放たれた。
闇と光が活動を止め、世界から空間が消えた。
時がねじれて滅びた。
生が死に死が死に絶えた。
音が消え、熱が消え、香りが消えた。
世界から意味が消滅した。


私の精神が解き放たれた瞬間、世界に無が訪れた。


世界はしかしながら無ではなかった。
有であった。私の精神という有の世界へであった。
私の精神のみが存在した。私の精神が世界の全てだった。
私が世界となったのだ。


1月0日0時0分00秒、私はこの世界の一部から私の世界へと変化を遂げた。
私は死んだのだ。
鮮やかに染められた漆黒の空にぽつんと輝く金色の月が存在する夜は何か変です。むちゃくちゃで意味の分からない衝動が現れては消えていきます。暗黒の世界を支配する唯一の柔らかな灯り。私はそれに魅せられているのでしょうし、また畏怖にも近い感覚を抱いているのでしょう。持続的に発せられる魔性の閃光は私を求めさせ

          それは私が死を求める欲求にも似ており

怪しくしかしながら可憐に美しいのです。

最近の不調の原因はこれでした。しばらく外出禁止を言い渡され家でのんびりしています。今は具合は良くはないですが寝込む程ではないのでいつもより多く投稿が出来たら、と思っています。
蒼いキャンバスの上に群がる真っ白な塊。それは私たちの妄想をかき立てる良い「教材」です。子供の頃には友達と恥ずかしがることなしに「あの雲…に見えるよね」と妄想を語り合ったものでした。

大人になり、それはとてもプライベートな遊びになりました。空を見上げるだけで形而上学にも似た妄想が頭の中を駆け巡ります。最近最も衝撃的だった雲は

    巨大な鬼が私を殺そうと巨大な金棒を振りかざしている

様に見えた雲です。
久しぶりの記事になってしまいました。実を言うと5年ぶり位に病院へ行ってきました。風邪です。扁桃腺が腫れているらしく、咽喉も荒れたい放題に荒れていると医師に言われました。

体調が悪い最近、ふと思い出したことがあります。大学の学生時代一人で暮らしていた時には1度も病気らしい病気をしなかった、ということです。4年間です。しかしながら現在はと言うと、1年に3度か4度は風邪をひいてしまい、体調不良のため、普段どおりの生活が出来ないこともしばしばです。

可笑しなことに大学の4年間というと、単身アメリカで暮らしており、今考えると恐ろしくなるほどの食生活をしていた時代でした。金銭的に親に迷惑をかけているというプレッシャーが私に禁欲的な生活をさせていたものでした。食事は炭水化物中心(小麦粉を溶いたのに多少の野菜と調味料を混ぜてもんじゃ焼き風にしたもの、ゆでたパスタに塩コショウをかけたもの、ベイクド・ポテト、トーストにジャムを塗ったもの、一袋30円程度のインスタント・ラーメン等。野菜や果物はほとんど採る機会がありませんでした。ファーストフードを含む外での食事は3ヶ月に1度程度でした。)で健康的に生きられたのが奇跡的であるとも思えます。一方現在は健康に大変気を使い、バランスの取れた食事、それにサプリメントも飲むこともあります。また規則的に運動もします。あの頃に比べると生活レベルは数倍に良いことは明らかだと実感しています。

これは私が勝手に思うことですが、私の体が環境に順応した結果が健康的な大学の4年間だったのではないか、と思っています。環境が悪いからこそそれに飲み込まれないための心と体の働きが生じた、逆に言うと、環境が良いとそれらの働きが鈍ってしまい、突然の環境の悪化(季節の変わり目など)に十分順応出来なくなっている。大学時代は生命力に漲っており、積極的に生きていた感覚がありました。今では残念ながら、受動的に生きているような感覚が強い様な気がします。環境に甘んじ、本来の生きる力を発揮できていないような気がしてなりません。 元来私は自分自身を追い詰めて成長をしていく傾向があります。もう一度 私が死ぬ気で生きた時の意味を良く考え、「更なる飛躍」を求める、ことを検討すべきである、と私自身考えております。
前橋ICを過ぎ赤城村方面へとバイクを走らせてい辺りが暗くなっていき雨が激しくなっていくに連れ大きな絶望感に襲われます。2度目だと思いました。道は既に山道。高校生の頃自転車で北海道へ向かった時の青森県の国道4号上にいた自分の姿がそこにあったように私には思えました。…夏休みを利用しての自転車での旅。沢山の人の人情を感じながらの旅でした。岩手県と青森県の県境、全く人気のない夕方の国道に突然の夕立。夏にも関わらず全身が死に直面した恐怖で凍えました…。自転車を止めて道路にたたずむその姿がバイクにしがみついている自分に見えました。

夕闇と雨は私の視界の70%を奪っていたように思えます。ヘッドライトが道路わきの反射鏡を捉える光と前方を走る車を頼りに全く先の読めない山道を自足50キロ以上で走りました。沼田ICにつく頃には全くの暗闇。指が肩が腰が足のつま先が感覚を失っていました。全身が体温の低下で小刻みに震えながらも私は先に進む以外の可能性を考えませんでした。考えられなかったと言った方が正しいかもしれません。人は言うかもしれません。勇気と蛮勇は違うと。でも私は痛感しました。私のはどちらでもなく既に思考にコントロールが効かなくなっているのだと。高校生の時に感じた死の恐怖。それはありませんでした。でも死を感じました。現実の状況の判断は出来ていてもそれが理解されていないようだと分かりました。つまり現実を歪曲させ恐怖を感じないような防衛が働いたのです。

素直に恐怖に震えられなくなっている汚れた大人になってしまったのでしょうか。

それともそうさせてまで目的を達成させるほど内に秘められた熱い想いが存在したのでしょうか。その時の私にとっては全く関係のない問題です。