私は珈琲が好きです。それ以上に私は珈琲が必要であると認めざる得ません。もともと低血圧で覚醒するのに沢山の内外的な刺激が必要な私は珈琲の覚醒作用を頼りにしてしまう場合もしばしばです。

適度に覚醒を促す珈琲は、しかしながら時に、覚醒を促しすぎる時があります。その時は信じられないほどの想像力が私に漲ります。これは丁度睡眠直前に様々な考えが頭に浮かぶ(時には幻覚と幻聴を伴う)のに似ているのですが、大きな違いはその思考能力です。様々に浮かぶアイデアは浮かぶと同時にそのアイデア同士、又はその時にしている作業と結びつかせる力が働くのです。ですから全く新しい考えが浮かぶこともしばしばです。

ところで今「ジョージア」のシールを集めています。後3枚で一口応募できるのですが、今までこの類の懸賞には当たった事がありません。ですから、若干冷ややかに自分の滑稽さを笑う自分もいるのですが。


午前10時頃、小雨の降る中バイクを走らせました。降水確率50%の残りの50に期待をたくし、あえてレインコートを着用しませんでした。国道16号線沿いに北へ、私は一心にバイクを走らせました。沢山の不安を抱えて、ただただ先だけを。

埼玉県に入ると雨は止むどころか強まる一方。その時までにはオーバーコートが完全に水分を含み、セーターを濡らしていました。一方で革の手袋も完全に濡れてしまい、その日の気温10度前後ということと重なって手先の感覚をほとんど失っていました。手先、腕、胸。雨水に浸された各部は熱を放出し、体の体温が急激に下がるのを実感しました。全身が震え、口が痙攣して歯がカチカチと音を鳴らすのをヘルメット越しにはっきりと聞くことが出来ました。背負う荷物の重さも体を蝕みはじめ、上半身全体への激痛へと変化していきました。バイクを走らせてからまだ3時間程度。距離にしてはまだ4分の1も走っていない中、弱る体を感じつつも心の奥だけには熱いものを感じていました。

私はあえて高速道路を避けていました。激しいという形容が付くほどの雨の中、どこまでも続く直線で大きくエンジンをうならせることに大きなためらいを感じていました。それこそ自殺行為。私は国道17号に乗り換え、北上を試みました。ボロボロの体は癒えることなく、さらに灯火を弱めていき、思考も悲観的になり、辛さを吐き出したくて仕方がありませんでした。が、これは今だ不思議なのですが、常に前を目指していました。あたかも自ら辛さを招き入れるようにです。先へ行けば行くほど自分を追い込んでいるのに先しか見えませんでした。不思議なのですが、体温は一定まで下がると寒さを感じなくなり、冷えからの苦痛が柔いでいくのを感じました。

午後4時頃、私は高崎市を目前として数時間ぶりの休憩を取りました。私は今でも疑問に思います。私をそれまで支えた力は一体何なのかと。自分はボロボロなのに、私は何故そこまで頑張ることが出来たのかと。コンビニの外で熱い缶コーヒーを飲みながらエンジン付近から上がる水蒸気をただただ見つめていました。その水蒸気は空へ高く、北の方に流れていきました。それと一緒に私も北へ流されていくのだろう、とその時実感しました。
頬に冷たく突き刺す冷えた風にそろそろ限界かな。バイクで帰宅中にそんなことを思い始めたのは今日が初めてではありません。車酔いがひどく、乗用車を運転することの苦痛が耐えられなくなり、危険だという家族の反対を押し切ってバイクの免許を取ってから早くも8ヶ月が過ぎました。交通手段としての車の代わりとしてのバイク。

そんな思惑下のバイクを今日も走らせました。帰宅時、刺すような夜風を受けるその車体の前方にパトカーが何台か止まっているのを目撃。興味心に駆られチラッと通り過ぎる時に横見をすると、黄色の車体が無惨にも綺麗な大型バイクが横たわっていました。激しく損傷をするライト、もげるミラー、こなごなに砕けるウインドシールド…それらが一瞬の内に頭に焼きつかされました。事故が起きたのでしょう。その無惨な光景から私は一瞬にしてライダーの死を悟らざる得ませんでした。と次の瞬間

自分のバイクが道路の片隅にその車体を横たわらせている像が頭に浮かび、それが現実に起きる出来事であると確信しました。

安全には十二分に気を付けて運転していきたいと思います。
中越地震が起きた時のことです。

地震発生後数日経ったある日ですが、私の心は穏やかでありませんでした。火曜でした。新聞に目を通すと「ボランティア募集」の記事を発見しました。心臓が高鳴り、その記事を食入るように読んだのでしょう、読んだ記憶さえありません。よく恋に落ちた(というか狂った?)人が陥るような状態です。

私は受話器を取り、掲載されていた番号に即座に電話をかけました。記事に述べられていたとおり、電話はつながりませんでした。志を共にするほかの方たちが一片に電話をかけるので不通知になっているようでした。私は狂ったように何度も同じダイヤルを回しました(プッシュ式ですが)。20回ぐらい連続で試したでしょうか、やっと電話の先に生きた声を聞きました。色々な意味で安堵感が生まれたような気がします。

「はい、…本部です」
「ボランティアは必要でしょうか?」
「ええ、必要です」
「すぐにでも行きたいのですが、どこに行けばよいでしょうか?」
「十日町へ行ってください。お車で?」
「ええ、まぁ、バイクです」
「なら関越通って六日町で降りて253に乗ってください」
「分かりました。ありがとうございました」

2分にも満たない会話でした。明日の天気予報は雨。私はためらうことなく、仕事場へ連絡、了解を得、準備を始めました。今考えると凄く周りの人に迷惑をかけていましたね。私が意を決していた事を周りも理解してくれたようです。

水曜日。雨のパラツク中無謀なくらい信じられないほどの軽装でバイクを走らせ始めました。

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この続きはまた次回書きますが、その前に触れておきたい点を述べておきましょう。それは私の意図です。客観的には「善く」映るかもしれません。しかし私はあまりその気はありませんでした。「善」を追求しての決断では決してなかったと思います。その前に自分自身も拒絶したくなるような決断であると私自身捉えていました。初めてのバイクでの遠出、天候、仕事で私を必要としてくれている方々への影響、地震…。不安材料は山のようにありました。そんな中自分の気持ちを押し切らせたのは何か?結局病的な「やさしさ」(記事「やさしさ」参照)要するに困っている人たちがどれほど困っているかを自分の中で独断に決定し、同情を覚えた。その同情が私を駆り立てた、というわけだと思います。セラピストとしたら本当にまだまだ未熟者だと痛感せざる得ません。私は確信のない「人の命」を掲げ、私が犠牲にしていくものとの「価値」を測ってしまいました。これは倫理的誤りを意味しまた人間的な未熟さをはっきりと反映させるものであると今では反省しております。つまり

私が様々なリスクを得る決意をしたのは自分の中の「同情心」を押さえることが出来なかったからだ。つまり利己的な動機のためだ。

と退職を迫られても全く否定することは出来なかったところです。
本当の優しさを表現することは完全に利他的な行為であり、故に非常に難しいことだと思います。私も含めセラピストが肝に言い聞かせる教訓です。

業界でいわゆる「転移」とは相手に自分の問題を映し出すことです。例えば自分がある出来事でイライラしている時は他人もイライラしてるように思え、実際に他人がイライラしているという空想を証明すべく、他人は「イライラしているはずだ」という先入観をもって観察をします。また昔の友人に似た始めて会う人には何故か親近感を感じ、友好を深めたい気分にもさせます。

優しさに戻りますと、一般に認知されている優しさとは大半が「転移」の産物である、と私は思います。言い方を変えると「同情」です。厳しい立場
におかれる相手の状況が自分の過去に経験したそれと類似し、その辛さが分かり、相手を「かわいそう」だと思います。

社会生活においてはこれはこれでいいと私は思います。他人の状況と自分が過去に体験したものを上手くつなぎ合わせられる想像力豊かな人、また単純に沢山のことを体験してきた人、そういう人は大抵優しい、と認識されます。でもダメな場合もあります。それは他人の経験が独特であると気が付けない場合です。自分は経験者で、同じ様に「思える」立場にいる人たちのことは理解できる。優しく包んでやれる、と誤解してしまっている場合です。

私たちセラピストも人間であり、クライアントさんの体験してきたことに感動する時もあります。でもその感動の涙は自分のためのもの。その涙を見せたとき恐らく相手は

            「こいつはなにも分かっていない」

と思うのでしょう。やさしさとは自分の「助けてあげたい」という願望にのっとって他人を助けることではなく、あたかも相手を助けることが自然で歩くのと全く変わらないような感覚で助けることだと私は思います。読者の方の何かの参考になれば幸いです。
メンタルクリニックに通うことに我々が消極的な原因の1つがコレでしょう。私も思っていましたよ。一種のタブーでしたね、私が子供の時は。恐れを知らない私は友人や家族の奇妙な行動や誤りの行動にはよく「精神病院行った方がいいよ」などと無邪気に冗談のつもりで言っていたものでした。
10代後半フロイトの影響を受け始めると、精神障害の認識が深まっていきました。そして本格的に大学で心理学を学ぶようにな様になると今まで「気が狂った非合理的な殺人者」的精神障害の患者の像がより現実的なものになっていきました。大学時代はこの点で言えば認識において大きな達成を得たように思えます。大学後半「認知心理学」を学び始め、精神障害の患者の像が大きく変化しました。その変化は私に「私と精神障害を持っている患者の差は紙一重だ」と思わせるほどのものでした。私の中で思考の仕組みと精神障害のユニークな結合はある1つの考えを私にもたらしたからです。私はその考えを現在でも強く信じています。

つまり我々「正常な」人間といわゆる「精神障害」を持った人間との差は基本的にはないに等しい、ということです。

逆に言うと、心にわだかまりのない人はいません。私も悩みます。あなた自身もきっと何か悩んでいるはずです。私たちは悩むのです。
ひどいストレス下にある時、私はよく笑いが止まらなくなる事があります。可笑しい事ですよね?外界の刺激を受けてそれに関連する記憶を呼び起こす、というのが一般的な人間の創りです。でもストレス下の私というのは、この機能が異常に働いてしまい、勝手に記憶が呼び起こされてしまい、また勝手に思考が働いてしまうのです。しかもその内容というのが可笑しな事ばかり。それを過度に可笑しがってしまい吹きだしさえする自分がまた可笑しくてならないのです。
最近はありませんが、一番印象に残っているのが失恋をした時のことです。当時大学生でしたが、キャンパスを歩いていると常に相手のことを探してしまい、その視覚での捜索の結果が失敗に終わるとその度に可笑しなことが頭をよぎり、それに執着してしまいました。
精神分析の分野で防衛機能という考えがあります。ストレスに対する具体的な行動を伴う対処法です。私の笑いというのも一つの防衛法なのでしょう。直面する問題から意識を遠ざけるための笑い。

           逃げるために笑いを求める。

でも笑って逃げていることに気がつき悲しんでいる自分も見えてしまいます。
私はよく「考えてはいけないこと」を考えてしまいます。意図的ではなく瞬間的にです。昔は自分がコントロール出来ないそのような思考に泣いた事もありましたし、今でもまだ罪悪感を感じざる得ません。「考えてはいけないこと」…精神分析では恰好の分析の餌食です。無意識の願望の表れであると分析側は捉えますから。10代後半、独学で学び始め、心理学を追求するきっかけになったフロイト。それを俄かに信じていましたから、ひどいストレスです。私は心の底では「そんなこと」を考えていたのか?今丁度また瞬間的に考えてしまいました。そばにまだ子猫のチンチラシルバーがいますが、この子に熱いコーヒー(今ちょうど飲んでいるもの)を注いだらどうなるだろう、と。実際にその時の映像も頭に浮かびます。風邪をひいて思考がネガティブになっている私にとっては大変辛い事です。今では想像力の産物、というか代償である、と考え様としていますが。なんせ無意識の分野はあまり理解されていませんので、フロイトの「無意識の願望」を出鱈目であると反駁することも出来ないし、何より生涯を捧げようと誓って学んだ心理学のきっかけとなるものなので、なかなか上手く自分を言いくるめることが出来ません。

コタツで寝ている無防備な「父親」の頭を思いっきり蹴飛ばしたらどうなるだろう?首が折れて即死だな…。

今のところこれ以上辛い「考えてはいけないこと」を考えたことはないのが幸いです。
晴れた日で、初夏の気持ちの良い風が頬を優しく撫でながら通り越していく、そんな夜でした。10時頃でしょうか、最寄の駅から自宅へ自転車を走らせていると、月光がほのかに世界を包んでいることに気がつきました。それに触発されたようにふと深海のような蒼の空を見上げると、その大きさが目に焼きついたように思えました。その瞬間空に大きな空洞が出来、自分がその中に吸い込まれる感覚を得ました。そして

       「なんで私は空の下にいないといけないの?」

と切実に疑問を抱きました、と同時に私の中の「常識」の一部がこなごな砕け散り、新しい「種」が少しだけ芽を出し始めた像を想像しました。