街角景況感、最大の下げ幅=震災で「急激に厳しい状況」―景気ウオッチャー調査
時事通信 4月8日(金)14時20分配信
 内閣府が8日発表した3月の景気ウオッチャー調査によると、街角の景況感は、
3カ月前と比べた現状判断DI(指数)で前月比20.7ポイント低下の27.7と急落、
過去最大の下げ幅を記録した。2~3カ月先の見通しを示す先行き判断DIも20.6ポイント低下の26.6と最大の下げ幅。内閣府は景気の基調判断を、「東日本大震災の影響で急激に厳しい状況になっている」と
下方修正した。
 調査は3月25~31日までで、有効回答率は90.1%。
政府の経済統計で初めて震災の影響が本格的に表れ、津波や原発事故が日本経済に大打撃を与えている実態が経営者や従業員らの生の声とともに示された。
特に被災した東北地方では、物流がまひ状態に陥り、工場損壊や計画停電で生産活動が停滞。
自粛ムードの中で、全国的に買い控えや旅行のキャンセルなどが続いている。 

→それを調べてどうすんねん!状況はみんなわかってるし(`_´)ゞ
対策を考えてくれな(`_´)ゞ
東日本大震災 星になったママへ 「波になって会いたい」



津波で母親を亡くした及川律ちゃんと詠ちゃん兄弟。

 「一番きれいな星が、ママだよ」。パパに教えられ、澄んだ夜空を見上げる。
岩手県陸前高田市の保育園児、及川律ちゃん(4)は、東日本大震災で母久美子さん(32)を
亡くした。「ぼくも流されて、ママに会いたいなあ。波になりたい」。
小さな手で描いた母の似顔絵。いっしょに暮らし始めたおばあちゃんは、
孫の無邪気な言葉を絵の裏に書き留めた。

【ママに会えた】東日本大震災:孤立の保育園児67人…津波、対岸は火の海

 市立図書館の職員だった久美子さん。
あの日、大きな揺れの後で隣接する市立体育館に同僚らと避難し、そこで津波にのまれた。
仕事着のエプロン姿のままだった。

 律ちゃんと弟の詠(えい)ちゃん(2)は保育園で昼寝をしていた。
旋律の「律」と歌の「詠」。ピアノ好きだった久美子さんが名前をつけた。
兄弟は保育士に導かれ、靴を履かず上着も着ないで大津波から逃げた。
「靴下だったから途中で足が痛くなって、先生にだっこしてもらったの」と律ちゃん。
市職員の父克政さん(33)も無事だった。

 ☆

 兄弟はいま、近くの母方の祖父母宅に避難している。久美子さんを思うと、
祖母まみ子さん(62)は思わず涙ぐむ。律ちゃんも泣き顔になるが、すぐ笑顔を見せる。
詠ちゃんは「バアバを守ってあげる」と得意のウルトラマンのポーズを取る。

 津波が起きて7日後のことだった。こたつにいた律ちゃんがボールペンで絵を描いた。
にっこり笑う母の顔。

 「ぼくも流されてママに会いたいなあ」

 津波の恐ろしさをまだ理解できず、母に会いたい思いを口にする律ちゃん。
切ない気持ちで、まみ子さんは絵の裏にその言葉を書き込んだ。
兄弟の写真や成長の記録をきちょうめんに整理していた久美子さん。
「すべて流されたので、私が代わりにやってあげないと……。
いつかこの時のことを孫たちに伝えるためにも、大事にとっておきます」

 2人の孫の「作品」を水色の箱にしまっている。

 ☆

 「ママがいるか、確かめるんだ」

 律ちゃんは、パパやおばあちゃんと別棟にあるお風呂に行く時、夜空を見上げる。

 「真ん中の一番きれいな星がママ。抱っこされて、夜空のキラキラお星になって、一緒に街を見たいな」

 ママに会えたら、律ちゃんは伝えたいことがある。

 「パパは無事だったよ。ママ、おうちにずっといてちょうだい」



大阪のローカル紙が希望届けるプロジェクト 
産経新聞 4月6日(水)23時58分配信
 被災地の人々の希望をかなえたい。そんな思いが、被災した祖父母と孫に笑顔を咲かせた。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市の避難所で6日、6歳を迎えた菊田麗羽(うるは)君に、サッカーボールなどの誕生日プレゼントが届いた。自宅が被災し、避難生活を余儀なくされた祖父母がプレゼントできずに悔やんでいることを知り、大阪で地域紙を発行する男性が駆けつけた。

 大阪市鶴見区で地域紙「ローカル通信」を月に2回発行している吉村大作さん(30)。仲間内などで集めた現金を日赤に寄付する一方、地域紙で何ができるかと思い巡らし、震災特別号を発行、宮城県内などで避難所で配った。「被災者の希望をかなえることが、元気につながる」。そう思い、願い事を募って実現させる活動を始めた。

 4日夜、市立気仙沼小学校の避難所でボランティア活動をしていた友人から、避難生活を送っている吉田治男さん(70)と江美子さん(62)の悩みを伝え聞いた。「津波で何もかもなくなったから、孫の麗羽にプレゼントをあげられなくなった」と。

 治男さんと江美子さんにとっては、麗羽君はかわいい初孫だ。地震直後も、麗羽君の無事を確かめるため真っ先に保育園に軽トラックを走らせた。

 一緒に住んでいた自宅は泥に埋まったまま。サッカーが大好きな麗羽君は、避難所で小さなゴムボールを蹴って遊ぶこともあった。子供心にも置かれた状況を理解しているのだろう、麗羽君は口には出さなかったが、2人には「サッカーボールをほしがっている」と分かった。

 その思いを察した吉村さんはさっそく、5日夜に新品のサッカーボールとバースデーケーキを持って大阪を出発、電車と車を乗り継いで気仙沼に向かった。

 6日は、治男さんと江美子さんの手で、麗羽君にボールとケーキが渡された。避難所の子供たちもクラッカーを鳴らして祝った。麗羽君は「うれしい。おうちでボール蹴って、電球を壊して怒られたことがあるけど、おうちに戻れたら、また蹴るよ」と満面の笑みを浮かべた。

 吉村さんの活動は、題して「ねがいごと、100こ。プロジェクト」。これまで、岩手県陸前高田市で被災した理容師の女性にハサミやくしを、宮城県石巻市の男子医学生に参考書や筆記用具などを贈った。美容師の女性はその道具を使い、避難所での散髪ボランティアを始めたという。

 吉村さんは「義援金とは違う方法で何かできないかと考えた。願いがかなえられることで少しでも希望を持ってもらえれば。今後もできる限り、被災地の希望にこたえたい」と話した。(中島高幸、田中一世)

 岩手、宮城、福島の3県で住居を失った人が対象といい、メールアドレス(negai_come_true@yahoo.co.jp)で依頼を受け付けている。件名に「私の願い」と記して本文に名前、年齢、電話番号と願いの内容を書く。活動を支援するメンバーも募集しているという。


西田局長の声を聞くと…涙がでます。。

http://www.youtube.com/watch?v=sv97a5T2-F4&feature=youtube_gdata_player

震災孤児 見えぬ実態 「お母さん、いつ迎えに来てくれるの?」
産経新聞 3月30日(水)7時56分配信
 「いつ迎えに来てくれるの?」。少年は母を待ち続けた。だが、自分を愛してくれた人はもういない。東日本大震災で両親を失った“震災孤児”の実態が見えてこない。(松岡朋枝、大渡美咲)

 宮城県石巻市の市立小学校の避難所。同小1年の少年は、母親の迎えを待ち続けた。少年の両親は車で避難する途中、津波にのまれて命を落とした。学校にいた少年は難を逃れたが、両親が亡くなったことは知らされていなかった。

 避難所には近所の住民も多く、親代わりを務めて一緒に遊んでくれたが、避難所にいる親子連れをみると少年の目から涙がこぼれた。泣きながら大人たちに聞いた。「お母さんはいつ迎えに来てくれるの?」

 地震から1週間ほどたったころ、少年は一家の安否を心配して避難所を訪れた親族に引き取られた。避難所を出るときまで、母親の迎えを待っていたという。

 避難所で少年を見守り続けた男性は「子供に必要なのは親や親族だった。自分たちの無力さを痛感した」と、声を震わせた。石巻市教育委員会によると、市内だけでも数十人の震災孤児がいるとみられるが、その実態は明らかになっていない。

 自治体の調査は難航している。宮城県子育て支援課は県内の全自治体と全児童相談所に孤児の実態把握を要請。存在を確認すれば、児童養護施設への入所や里親への養育依頼を行う計画だが、今も多くの自治体から報告は届いていない。沿岸部の自治体は「児童生徒の安否確認さえ終わらず、孤児にまで手が回らない」と話す。

 岩手県でも、地震の被害で親が亡くなったり行方不明になったりしている子供の数を把握しようと、児童相談所の職員と応援に来ている横浜市こども青少年局の職員が避難所を回り、責任者に親を亡くした子供がいないかなどを聞き取っている。

 同県陸前高田市では、市の教育委員会も同時に調査を実施。市の担当者は「地震後、親戚などを頼って市外や県外に出た子供も多くいるため、実態把握には相当の時間がかかるだろう」と話した。