~執着が無くなった?~
健康のためと15年以上一日一食を続けていましたが、トレーナーからフルマラソン走るなら米を食べなさいと言われ続けたことや、加齢と共に落ちてくる体力をカバーするためにも、半年前くらいから朝食を食べるようになりました。
面白いもので、一食の時は朝も昼もお腹がすくことは無かったのですが、朝食べるようになるとちゃんと朝はお腹がすきます。しかしお昼はお腹がすきません。
なので、三食食べるようになると、きっと朝昼晩とお腹がすくのでは無いかと思いますが、結局習慣なんでしょうね。人間の身体は本当によく出来ているなと感心します。
朝食を食べるのもどちらかというとエネルギー摂取が目的なので、ご飯、味噌汁、納豆、梅干し、ゆで卵。食後にプロテインとほぼ毎日同じメニューで、寄る年波かどうせなら美味しいものをという拘りは無くなりました。
なんて事を友達と話しをしていたら、食べ物の執着は無くなったということは60過ぎてついに悟りを開いたか?なんて笑われました。
もちろん悟りは開いていませんが、確かに食べ物に対しての執着は無くなっているかもしれません。
どちらかというと必要なエネルギーが摂取出来ればいいかなという感じです。
ただ大好きなビールだけは、昔は酔っ払うためだったものが、量より質で美味しいものに変って色々拘ってしまうので、こちらは逆に執着が増えていて、執着が無くなったのか増えたのか分からない状況ではあります。
そう考えると、美味しいものを食べたいという食に対する執着は無くなっただけで、美味しいビールを飲みたいや、必要なエネルギーは摂取したいという執着は増えたような気がします。
結局、何に興味があるかで拘りが出てくるので、結果それが執着と言うことになるのかもしれません。
最近始めた終活も「どう生きたいか」という拘りだし、お釈迦様には怒られるかもしれませんが、拘りを無くすというのは生きている内は難しい問題だと思うので、無関心や無気力ではなく、どうせなら良い拘りを持つことや見つけ、それに必死に打ち込むことが、より良い人生を送るには必要な事ではないかと思います。
執着が無くなったのかと思いましたが、結局興味が変っただけで執着は無くなっていないただの人間だったと友達と話をしながら気がついた今日この頃でした。
執着を無くすといのは難しいことですから、中々悟りは開けませんね。