『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

 

発病からの生還記録を綴っています。

今日は現在の活動日記です。

 

生還記録はこちら

 

 

 

 

 

 5年でなく10年のパスポートにした思い

 

 


腎臓の希少がん手術は22年前。

 



がんの手術から10か月後、
抗がん剤治療を終えて退院し、
5か月後のことでした。

 

 


2000年の8月、

海外旅行に行こうと、
20年前にパスポートを更新したとき、


いろいろな感情が湧き上がってきたのを思い出しました。




この頃、

ガソリンを満タンにするのもためらっていました。



ガソリンが尽きるまで

自分が生きていられるのだろうか・・・

 




お店のカードでポイントが溜まり、

「使いますか?」

「溜めておきますか?」

 

と言われても、即答。

 

 

 



「使います!」

 

 

未来を見るのが怖かったのです。

 

 

 


さて、パスポート。
5年用と10年用があります。

 

迷いました。

 

(なぜ1年、2年のパスポートがないんだ。5年にしたって長すぎるよ・・・)



仕方なく、
5年用の申請用紙に記入を始めると、 

もう一人の自分の声が聴こえてきました。


「5年にするの? そうなんだね。

どうして、そうやって自分の可能性を自分で閉ざしてしまうの? どうして自分の未来を自分で制限するの?」


「どうして他人の決めた道を歩いていこうとするの?」
 

 

「5年にしたら、10年は生きられないって決めちゃうってことでしょ?それって、自分がかわいそうじゃない?」

 

 

「本当に5年でいいの?」

 

 

「10年は絶対に生き抜くって、宣言しちゃえよ」

 

 


涙を流しながら、

5年用の申請用紙を破り捨て、

10年用の申請用紙を手に取りました。

 

 

 

22年前、

たかだかパスポート申請に、

ものすごく熱い思いを抱いていたことを思い出します。

 

 

このパスポートは自分の可能性を信じた証になりました。

 

 

 

10年も生きられない

 

 

旅行しながら10年後も更新できる

 

 

 

というマインドセットをしたのです。

 

 

 

イメージですが、

 

5年のパスポートにしていたら、

きっと体の全細胞たちが

 

「短いほうを選んだんだね。そんなにオレたちのことを信じてないんだ。もうがっかりだよ」

 

とみんなで肩を落としていたかも知れませんチーン

 


10年を選んだからこそ、

 

「よっしゃ、了解!お前の期待に応えてやるぞ! お前のその指令を待ってたぞ!」

 

と細胞たちは腕まくりをしたのでしょうウインク

 

 

 

そして、

 

 

この10年のパスポートで、

ホノルルマラソンに参加し、

翌日結婚式を挙げました。

 

 

 

小さなことかもしれないですが、

このとき「10年は必ず生き抜く」と、

自分自身に暗示かけることができたと思います。

 

 

 


以後、入国審査で

渡航記録のスタンプを押してもらうたび、

10年のパスポートを眺めては、



「あのとき自分を信じたんだ」

 


と自分を誇らしく思えたものです。

 


何かを形にし、

自分を信じた証を作るのも良いと思います。



マラソン大会の完走証でもいいし、
記念Tシャツでもいいし、
海外のお土産でもいいし、
壺でも御札でもいい(笑)。

 

(今は壺も売っています笑)



目に見えるものに、

目に見えない大切なものを宿すことが大切ですね。

 


そんなマインドセットについて語っています。5分くらいの短い動画です。音声中心でお聴きください。

 

 


 

今の視点からの考察

 

「長く生きられない」

という自分の無意識にあった

観念を

パスポート申請の時、

「10年後も元気で生きていよう」

というマインドに書き換えました。

 

 

 

 

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