日本武道館をロックに開放した❝ 彼ら ❞の話 | 老いたスナフキン放浪記 3rd season

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今日はTOHOシネマズ日比谷へ。












1966年6月30日〜7月2日の3日間で5回公演のザ・ビートルズのたった一度の来日公演を振り返ったドキュメンタリー映画「Mr.MOONLIGHT〜1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢〜」を観てきました。













ライブの前日に来日して翌日の午前中に去っていった、まさに台風到来のような5日間。
そのドタバタっぷりを再確認。
ずっと前にNHKで観たビートルズ武道館特番では、公演の3ヶ月前にマネージャーのブライアン・エプスタインからキョードー東京側に日本公演の打診があったと言ってたけどこれは間違いで、当時の女性スタッフが3ヶ月でビートルズを呼べるわけ無いでしょ!と言い切ってた(笑)

ギャランティの前払いにドル札を揃えるのに1966年当時は制限がかかっていてキョードーだけでは揃えられず、読売新聞も協力してたんだね。正力松太郎の「ペートルズなんてわしゃ知らん」発言は国内の偏った人々へのパフォーマンスだったのか?
ドルのレートも固定だった時代か。












本当は1965年の秋に呼びたかったようで、64年終わり頃から65年初め頃に交渉が始まったようです。
66年にズレたのは65年10月にビートルズはエリザベス女王から勲章を授与されたのでスケジュールの立て直しになったとか。
1965年が日本のレコード発売元の東芝音楽工業5周年の記念でビートルズを呼びたかったと。












8000人を超える警察官が警備で配置され。。。8000人だと観客とほぼ同数ではないか?
アリーナには客を入れずスタンド席のみ。
ステージセットもまるでテレビの歌番組の公開収録みたいだな。
しかし警備やTVクルー以外にステージ最前列でVIP対応で観た人が2人いた。前座を務めた内田裕也と尾藤イサオ。
ちゃんと写真も残ってた(笑)

武道の聖地にビートルズを呼ぶな!なんて運動もあったらしいけど、武道館側はビートルズが使ってくれることは嬉しかったみたいだね。
武道の聖地のままじゃ閑古鳥が鳴く状態だっから。
反対派を黙らせるのにもビートルズの叙勲は多少は効果あったみたい。













嵐のような5日間だったけどビートルズが武道館でコンサートをやったことが皮切りとなり、その後はロックの聖地にもなったんだから、日本側の招聘関係者には感謝しなければいけない。


タイミングもギリギリでこのツアーの最終日が8月の終わりのアメリカで、それ以降はビートルズはツアーをやらなくなり、スタジオに籠もる活動から解散へと至るので、この公演がまたズレたら来なかったかもしれない。


ローリングストーンズは1990年まで待たなきゃならなかったし、THE WHOは2004年まで待たされた。


本当に1966年によく呼べたな。

この記事のタイトルに入れた❝ 彼ら ❞とはビートルズだけでなく、この招聘に関わったすべてのスタッフ含むです。




エンドロールであなたの好きなビートルズの曲はという問いに101歳から始まって、年齢が下がっていき最後に答えたのは5歳(≧▽≦)

ちびっ子には「オブラディオブラダ」が人気でした。


自分は今なら「Across The Universe」かな。