少し更新の期間が開いてしまいましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
コロナ騒動も色々科学的な見方ができるほどのデータが集まってきていて、テレビの情報と、ネットでの情報の乖離が激しくなっていますね。
もっと自分の頭で考えるように日本人はなっていかないと思いました。
さて、
今日は前世療法について。
は?前世療法?
と思われる方もいるかもしれません。
そもそも前世や生まれ変わりは仏教的な考え方なので、日本人にはそれなりに受け入れられるかもしれませんが、
クリスチャンの方には批判的な見方をされる方もいるかもしれませんね。
ただ、前世について解説や実在がしたいわけではなく、
その前世の自分に向き合ったときに、
何が得られるのか何を感じるのかがポイントだと思います。
潜在意識が現象化する恐怖
先日、
自転車ですっころんで、娘に怪我をさせてしまいました。
それは子育てをしていれば、時におこることです。
ただその中で、自分の中で恐怖心が芽生えたのです。
極端に表現するとこんな感じです。
「娘を死なせることで学ぶものがあるのではないか?」
「娘を死なせてしまうのではないか?」
「娘を死なせなくては学べないこと、悟れないことがある」
潜在意識、顕在意識の両方で、失って初めて気づくものがある。
というのはなんとなくわかっていただけると思います。
「病気になって気づけた」
「つらい環境だったので悟ることができた」
そのような話はいろいろなところにあります。
僕も当然の様にそのような考えを持っていました。
潜在意識は現象化、現実化します。
この失って得られるという概念は、娘を失ってしまうのではないかという、恐怖心になりました。

前世療法で見たもの
前世療法はイメージを膨らませるものです。
そのイメージの中で僕は
農家の男の子でした。
親は床に臥せており、日々の生活は楽ではなさそうでしたが、愛ある家庭でした。
男の子は成長し、結婚し家族が増えました。
そんなある日、綱が切れた拍子で、目を傷つけ弱視になってしまいました。
それでも彼は家族と支えあいながら、苦労しながらも幸せを感じる人生を過ごしました。
そんな彼は今わの際で、彼を見ていた僕に気づきます。
そして僕は尋ねました。
「何か伝えたいことはありますか?」
「私は目を失うことで、いろいろな物を得ることができました」
「それは失わなくても、得られるものですよ」
「そうか・・・
君は失わないで、得られるんだね・・・」
パット見ひどいことを言ったようですが、彼は納得して、
彼の失って得られるという観点は浄化されていきました。
それで結局?
結果としては自分の中にある
「失って初めて得られるものがある」
という観点はかなり薄まりました。
それに伴い、娘を失う恐怖というものもほぼ消し飛んだといえます。
僕は
失って得るものがある、失わないと得られないものがある。
という概念から、
得たいものがあれば失わずなくても得られる
に概念が書き換わりました。
人生は結局のところ自分の気の持ちようです。
自分の思い込みが良くも悪くも作用して、
自分の人生を形作っていきます。
それをわかっていたとしても、
できない。
こう考えたほうがいいけど
できない。
これはつづけたほうがいい、でも、
できない。
そんな足かせがたくさんあると思います。
それらを少しずつはたまた劇的に外していったら人生変わらないわけありません。
そう感じただけでしょ?
そういうかもしれませんが、
その感じたものがすべてです。
自分の人生自分が何を感じて、何に気づくか。
何を選択するか。
自分が感じたものを選択するか、
周りに合わせて自分で考えずに、自分の感じたものを無視して進むか。
今の時代、ただ情報に踊らされて、ストレスをためて我慢していくよりも、自分の感性を信じて、磨いて、楽しく幸せな人生を生きたい。
そしてもっと多くの人が、自分の感性で生きてほしい。
そう強く思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
