1980年代前半、レーガン政権下のアメリカ合衆国では、インフレからの脱出には成功しました、国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していました。
インフレが沈静した後は金融緩和が進みアメリカは景気回復しましたが、貿易赤字増大に拍車がかかり今度は金利低下が進みます。貿易赤字になっている国の通貨である米ドルの魅力が薄れドル相場は次第に不安定になります。
この状況で1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進各国は、協調的なドル安路線を図ることで合意しました。特にアメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容でした。この先進各国の合意をプラザ合意と言います。
日本は円高ドル安が進んだことで、国内の工場で作った製品を海外に輸出をするのが難しくなりました。これにより、国内の工場が海外に出て行き海外の安い労働力とその国の通貨のレートを利用し、製品を安く作り輸出しました。
そのような世界の経済状況の中で、日本国内には安いドルで資金調達し、日本円に投資する投機的な動きが始まり国内の土地投資が始まります。
これにより、土地神話と言われた絶対的な土地に対する信頼から、海外に出て行った工場跡地に投資が集中し、マンションを建てて更に高く売るということが加速しました。国民の所得も増えますます経済が加熱していく中で、更に国内経済発展のため、都市部で条件にあった土地には、容積率が緩和する方向で法律が変わりました。
これにより1ヶ所の土地により多くの床面積の建物が建てられるようになりましたが、今までの法律の枠組みだけでは都市環境が悪化してしまうことが懸念され、一定以上の面積の土地に対し、規制をもうけ、公共空間としての空地、一定面積以上の緑地などを備えて入れば、容積率を緩和してもよくなりました。
広い土地に面積の大きい建物ではなく、上記のような公共空間を広くとった敷地に容積は緩和される訳ですから、必然的に広い公共空間を持った高い建物が建てられるようになりました。
こうした状況の中でバブルが膨らみ破綻した後、不動産の価格が下がりました。しかし海外から見れば、今度は日本の不動産には割安感を感じるようになり、海外からの投資マネーが入ってきて建物の価格を押上げています。
こうした背景にはアジア全体の経済成長、主に中国の高度成長がバックにあることを忘れてはいけません。国内の状況とすれば、一部富裕層が相続税対策として都内のタワーマンションを購入していますし、IT関連の若い起業家が事業に成功し、ステイタスシンボルとしてのタワーマンションが人気になっています。
現在の一般的なサラリーマン家庭も、その親世代の団塊の世代は郊外に土地を買い一戸建てを建てましたが、その子供達はその家には住まず、通勤に便利な都心のマンションに住むことを選択することによって、都内のマンションは売れ続けています。
ただし、一般的なサラリーマンでは既にローンを組んで買える額を超えてしまいました。今はパワーカップルと言われる夫婦共稼ぎで合算年収が一千万円を超えるような人たちが、メインターゲットとなっています。