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【ソウル・メッセンジャー】 やはぎのりこです。
『施しを受ける』
今朝、出かける父を見て浮かんだ言葉です。
車椅子に乗せてもらい、階段をおりていきました。
父は今、施しを受けている。
のではないか?と
いろいろとお世話を受ける立場になっています。
『施す』側と、『施しを受ける』側。
そして施しを受ける存在があってこそ
『施す』という行為が可能になります。
体力的に辛い様子をみていると
医療の力で命を長らえさせえてもらっていますが
それは、果たして幸せといえるのだろうか?
と感じてもいました。
そして、そういう存在である、ということで
『施し』を受け取っています。
多次元という言葉があります。
表の事象では
父は受け取る側ですが
別の次元では
父はその存在を『施す』方に与えています。
施す行為の中にも、施しを受ける中にも、いのちの学びがあります。
それは
『与える』ことと『受け取る』こととも言えます。
両方が存在することで、循環します。
どちらが、いい悪いでもなく
どちらが上下でもなく。
『与える』ことと『受け取る』こと。
その循環を目に見える形に表現するものとして『お金』の存在があります。
『施す』側=行為を与えたひとが、お金をうけとります。
『施しを受ける』側=行為を『受け取り』、お金を『与え』ます。
それぞれの立場の中に、『与える』ことと『受け取る』ことがあります。
他者との間の循環を、私たちは『循環』と、とらえますが
じぶんの内側にも、その『循環』はあります。
仕事を提供して、お金を受け取ることがあります。
もしも、そこがスムーズに回っていないとしたら
どこを見直せばよいでしょうか。
その一つに、まずは
自分に十分与えること。
十分受け取ること。
それを徹底して自分に行う、ということがあります。
『自分に十分与える』
どんなことがあるでしょう。
行きたいところに行く。
食べたいものを食べる。
会いたい人にあう。
休息や旅行。
美味しい一杯のお茶。
新鮮な空気。
自分を満たす行為。
十分受け取ること。
他者からの、『施し』を素直に受け取ること。
受け取りベタ、という言葉があったりしますね。
もしも、受け取りベタ、と感じているなら
私はいま、『施す』方に、わたしの存在を与えている
ということから、初めてみてください。
そして、『施し』を十分に受け取ってみてください。
そこには循環がうまれます。
自分の内側に。他者との間に。
『与える』ことと『受け取る』こと。
そのどちらもが、しぜんに喜んで、できるようになったとき
豊かさの循環はまわりはじめています。
その時、お金を受け取るという行為も、しぜんにできるように
なっているでしょう♡
今日も、ありがとうございます!
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