終戦後2年を経た昭和22年、私は小学校に入学した。未だ、皆貧しくて、服やズボンが破れている子もいた。食べ物もほとんどなく、栄養源に進駐軍から差し入れられた粉ミルクを沸かしたものを、全児童に供給された。後になって、トマトジュースも配られた。当時の衛生状態は悪く、子どもたちには寄生虫がわいていた。糞尿を野菜などの肥やしに使っていたところから、卵が口内から胃腸に入り成虫になった。これを退治るために海人草という如何にもまずい液体を我慢して飲むと、翌朝便と一緒に白い20㎝位の回虫が出てきた。
又髪の長い女の子たちには、シラミが沢山沸いていた。1っか所に集まって噴霧器でDDTを女の子たちの頭にかけると、あたり一面真っ白になった。