自立→世間に迷惑をかけずに自分のことは自分でするという生活力的な意味合いが強い。
自律→オランダ、ピラミッドメソッドの教育哲学。人は自分の人生を自由にできる権利がある。だからこそ守るべきこと、やってはいけないことを自分で決める。
世間から自分の人生を干渉されないで、
自分で自分の人生をつくる。
(子どもの自尊と自律を育てる保育環境より引用)
まさに、私自身が目指すべきところはここだし、
子どもたちに持ってほしいのも、
自立より自律の心。
自分で決める
ということが、
どれほど自分の人生をつくるのか。
箱の教室の中にいて、
決められた時間、同じ内容の授業を受けていることでのメリットと、
自分で決めたことに対しての、
勉強意欲の高さ、吸収率の良さ、もっともっとやりたい!
と思う気持ち、
そちらのメリットではあなたはどちらを取るだろうか?
日本の既存の形を否定しているわけではない。
あの形は、過去には必要不可欠で、
あの形こそがベストだった。
しかし、現代において、
あれは過去の産物でしかない。
我々人間は、元々動物であり、
自分に必要なもの、そうでないものを、
選びとり行動する能力を備えているとわたしは思っている。
その動物的、人間的能力を、
根底から信じることで、
その人間の、子どもの能力は、
飛躍的に伸びる。
人を育てるのは、
人的な環境、志と、
物的環境
それが全てだと言っても過言ではない。
人的、物的環境が揃っていれば、
子どもたちは宇宙人などと呼ばれはしない。
もちろん、子どもの行動には全て意味があり、表現であるということを理解したプロには、そんな発言はでてこないが。
しかし、知識だけを持って、
初めて0歳児と深い関わりをしたとき、
宇宙人だと思った。
なぜ泣いてるんだ!?
なにをして欲しいんだ?!
どうして泣くんだ!?
大声で泣いて私のことをそんなに責めないでくれよ!!
そう思った。
好きで好きで仕方がなかった子どもが、
意味のわからない不快な存在になった。
それは、泣くという行為を、
悲観的に捉えているから。
大人は、悲しくて泣くということがほとんどだろう。後は感動?
しかし、子どもの泣くという行為は、
悲しくてなどという単一的なものではない。
彼らは、まだ発語能力が未発達であり、
泣くことで、全てを表現しているにすぎない。
お腹が空いた。
眠い。
オムツが気持ち悪い。
暑い。寒い。
抱っこしてほしい。
おもちゃ取られた。
こっちのタオルがよかったのに。
お気に入りの洋服が着たかった。
弟と同じ服なんて着たくない。
後半は、幼児的な理由だが、
0歳児ならば、大抵大泣きするのは、
生理的欲求を満たせば泣き止む。
知識だけではどうにもならないこともある。
自分勝手に怒ってしまって、
自己嫌悪することもある。
だけど、それでいいんだって。
喜怒哀楽の感情に触れるからこそ、
人間らしい人間になる。
怒りも表現。
泣きも表現。
喜びも表現。
悲しみも表現。
そう泣くという行為を、
感情を捉える視点を変えることで、
私は子どもを心からまた
愛しなおすことができた。
子育ては一筋縄ではいかない。
けれど、喜びに満ちたものだ。
日々、こんなに心から笑う職業はきっと他にはないだろう。
私は子どもを愛している。
あなたにも、子どもを愛してほしい。
子育てに喜びを持ってほしい。
あなたが幸せなら、子どもも幸せなのだから。