愛とニーズの埋め合いは似ている。

ども!家族連鎖クリア&ライフコーチあまみ悠です。 

 

 

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「愛とは?」なんて

哲学的なことがふとよぎった。

 

 

愛について

思い出したことがある。

 

 

 

ずいぶん前のことで

私がまだコーチをする前のことだ。

 

イベントで一緒になった方と

お茶を飲みながら

一度お話を伺ったことがある。

 

 

彼女は30代の独身女性で

パートナーを探していた。

 

探してはいるのだが、

出会ってもなかなかうまくいかず

付き合ってもすぐに別れてしまう。

 

 

 

愛されたいのに愛されない、

どうしたらいいですか・・・

 

という彼女に

 

私はごく普通にサラッと

 

「愛って与えるものですよね」

 

と言った。

 

 

それは、彼女が愛してほしい

ほしい、ほしいと連呼するので

 

正直なところ、

 

こんなに要求していると

それに答えられない人は

去っていってしまうだろうなと

 

思ったからかそうでなかったか

よく覚えてはいない。

 

なおかつ、私自身がその年齢で

分かっていたとは到底思えない。

(すみません)

 

 

 

しかし、その後の彼女の発言が

今でも耳に残っている。

 

とてもインパクトがあったから。

 

 

彼女はこう言った。

 

 

『え?愛ってもらうものじゃないんですか?』

 

 

 

 

何の疑問もなく

するっと口に出た言葉だった。

 

 

 

 

私は愛とか恋はたぶん

得意じゃないし

 

のりしろがくっつくように

いつもパートナーがいる

タイプの人間じゃない。

 

 

けれど、やっぱり

愛は与えるものだと思う。

 

 

それも、一方的に。

 

 

 

『見返りを期待しない愛』

という言葉があるが、

 

そもそも

見返りうんぬん別として

与えたいのが愛なんだ。

 

 

何を与えたいのか、

 

それは

 

困っているなら

なぐさめや解決を

 

寂しそうなら

暖かい関わりを

 

支えたい

助けたい

守りたい

 

笑顔になってほしい

幸せでいてほしい

 

それが愛という

感情なのではないだろうか。

 

 

 

そして、人間は

自分の穴が空いている部分を

埋めたい生物だ。

 

穴が大きければ大きいほど

不安で生きづらいから

 

埋めてくれそうな誰かを

探し求めることがある。

 

 

 

その穴は心理的だったり

経済的、物理的だったり

するわけだけど

 

 

埋めてくれる相手から

もっと得たいと

感じるようにできている。

 

 

けれど、そこには永遠はない。

 

 

人はみな歳を取り

成長し変化する。

 

体調も変われば

社会的地位も変わる。

 

気分だって

ホルモンだって変わる。

 

 

だから熱烈な恋愛感情は

数年で収縮していく。

 

 

以前はもらえたものが

欠けてくると愛がなくなったと

感じるけれど

 

そもそも、

もらうものに永遠はないのだ。

 

 

 

一方で

 

与えられた経験と

受け取った経験は永遠だ。

 

なぜならば、

 

それはその人に

とっての事実だからだ。

 

 

愛してくれる人は

いつか変わるかもしれないけれど、

 

愛された事実は

自分自身のものだから。

 

 

それと同じように

愛した事実も

自分自身のもので

色褪せることはない。

 

もしも褪せて(見える)

とするならば

空いた穴の方に意識が

向いているからだろう。

 

 

そして、もしも

 

欠乏や不足への不安、執着を

愛だと思い、

 

すり替えた結果の

苦しみに気づくかもしれない。

 

 

そんなとき、人は

人は甘えを禁じて

心の自律をしようとか

 

経済的自立に向けて

必死で働いて

自分を立たせようと

するかもしれない。

 

 

もう、同じような

痛みは味わいたくないし

 

欠乏に支配されたくない、だから。

 

 

 

少なくとも私はそうだった。

 

 

 

 

けれど、振り返って思うのは

 

愛を乞い求める自分を

否定する必要など

なかったのだということ。

 

 

 

 

そうではなくて

 

そんな自分を内包する

もう一回り大きな自分に

気づくだけで

よかったのだということだ。

 

 

 

もう一回り大きな自分とは

ユングでいうところのセルフとか

 

スピリチュアルでは

ハイヤーセルフというのかも

しれないが

 

つまりは、

 

自分は不安で

寂しい存在なだけじゃないし

 

いろんな自分がいる。

 

 

愛を受け取ってきた

事実があり

 

愛を与えることが

できた事実がある。

 

本当に、

いろんな自分がいるのだ。

 

 

その中には

安心させて欲しい

安心させてくれという

子どものような自分がいるかもしれない。

 

 

人が自信を失い

外に外にと埋めてくれる

何かを求めてうろうろするのは

 

この欠乏と不足にあえぐ

自分が自分自身なのだという

不理解があるからだろう。

 

 

 

事実はあえぐ自分だけが

本当の自分ではないということ、

 

いろんな自分を

内包した自分がいるということ。

 

 

その認識がとても大切なんだと思う。

 

 

 

まあ、といったことに

カンタンに言ってしまえば、

 

心の余裕を持つと

いうことかもしれないが。

 

 

ともあれ、

 

そういった全体的な視点が

自分の中に育っていくと

 

器が広がると同時に

自分の中身も広がっていく。

 

 

そこでは

 

私もあなたも欠けていて

 

一方的に愛されたり

一方的に愛することができるし

 

欠けていながら人とつながり、

愛し愛される。

 

 

それが本当の意味で

可能になるのかなと

私は思ったりするのだが、

 

あなたはどう思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

ベル子育て、人間関係、親とのこと。 

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