ども!家族連鎖クリア&ライフコーチあまみ悠です。
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親から子へと伝わる
家族連鎖の専門家です。
2002年から専業コーチとして活動、
2万回以上の相談実績があります。
大人女性の生きづらさ、
子育て、夫婦、親子関係の悩み、
起業支援、
ミッドライフクライシスなど
多岐に渡りサポートしてきました。
前職はカフェ経営と占い師、
趣味は映画と散歩です。
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Netflixドラマ『ダウンタイム』を観ました。
美容整形の世界を
舞台にしたドラマですが、
親子関係や女性の「外見」に対する
さまざまな思いがあり、
とても興味深かったです。
このドラマでは、
外見を変えようとする人たちの
物語と重なるように、
家族から受け継いだものに
苦しみながら、
そこから抜け出そうとする姿が
描かれています。
特に気になったのが、
主人公の整形外科医 沼田文と、
同じく美容外科医であり、
クリニックの院長 遠山凜、
そして凛の養父であり、
クリニック会長の遠山新の関係です。
観終わったあと、
私の中の職業病が
むくむくと動き出し(笑)
3世代のジェノグラムを作ってみました。
ジェノグラムとは、
家族関係を図にしたものです。
家族の関係は
図にして眺めてみると、
一人ひとりの行動だけを
見ていたときには
わかりにくかったものが、
全体のつながりとして
見えることがあります。
『ダウンタイム』の家族に見えたもの、
それは、
親から子へと手渡されていく、
家族の「見えない荷物」でした。
それは例えば、
・未完了の心の傷
・崩れた世代間境界
・秘密とゴースト
・適応するために身についた「役割」からの脱却
などなど。
といっても私なりの
読み解き方であり、
意見が違う人も当然いると思います。
なんといってもフィクションなので
あくまで参考程度で読んでいただければと。
※では、ここからはネタバレを含みます。
「遠山クリニック」の創始者、
遠山新は、「小田嶋」という
名家の跡取りとして育ちました。
幼い頃から手先が器用で、
アートの才能にあふれていた新。
母親は息子のその才能を
大切に育てていました。
しかし、
小田嶋家になじめず、
次第に疲弊していきます。
これは推測ですが、
「家にとっての基準」を
満たせないと非難される、
そんな家庭だったのでしょう。
そして母親は
新がまだ幼いうちに、
自ら命を絶ってしまいます。
大人になった新は、
父方の「小田嶋」ではなく、
母方の「遠山」を名乗るようになりました。
家を継ぐ道を選ばず、
生まれ持った才能を生かして、
美容業界の立役者と
なっていったのです。
新の豊かな感受性は、
もしかすると母親譲りだったのかも
しれませんね。
母方の姓を名乗ることには、
亡くなった母とのつながりを残したい、
という思いもあったのでしょう。
ただ、新の中には、
母を失った喪失と悲しみが、
十分に嘆かれないまま
残っていたように見えます。
その悲しみは、やがて、
「遠山の名を残すこと」
「自分の技術を受け継がせること」
へと、姿を変えていっても、
不思議ではありません。
母を失った痛みを、
娘に家名と技術を継がせることで、
なんとか修復しようとした...
その役割を背負わされたのが、
養女の凜と、実の娘である文でした。
凜は幼い頃から、
父が認める後継者になることを
求められてきました。
そのため凜は、自分の価値を、
「何ができるか」
「遠山クリニックの医師として
経営者としてどれだけ優秀か」
で確かめるようになっていきます。
後継者として認められなければ、
娘としても認めてもらえない。
そんな居場所を失う不安を、
凜はずっと抱えていたのでしょう。
一方の文は、
実の父親が誰なのかを
知らされないまま育ちました。
文が赤ちゃんの頃、
新と別れた母親は、
その関係に深く傷ついていたのでしょう。
まるで文の父親など
存在しなかったかのように、
新についていっさい
語ろうとしませんでした。
しかし不在だったはずの新は、
「ゴースト」のように
家族の中に存在し続けます。
ここでいうゴーストとは、
実際にはその場にいなくても、
家族の役割や人生の選択に
影響を与え続ける存在のことです。
新が父親として担わなかった
空白を埋めるかのように、
文は義父たちの借金を背負い、
弟・尊の将来まで支えようとします。
その姿はまるで、
家族全体の責任を背負う
「総領」のよう。
父親がいなかったからこそ、
「私がなんとかしなければ」
と、本来は大人が担うべき役割を、
無意識に引き受けてきたのかもしれません。
新の嘆かれなかった悲しみと、
かなえられなかった願い。
それは凜に、
「自分の価値を認めさせるために、
努力し続ける」
という、いい子・優等生の役割を担わせました。
そして文には、
「自分の幸せよりも家族を優先し、家族を守る」
という、親のパートナーのような
役割を担わせたのです。
新は、娘たちを大切に思っていたのでしょう。
けれど、それ以上に、
自分の心に空いた穴を埋めるため、
娘たちを必要としていたようにも見えます。
あれほど拒んだはずの父親と、
いつの間にか似た構造を繰り返してしまう。
これはあくまで私の読みですが、
新もまた、
家族から受け取ったものに
強く支配されていたのかもしれません。
新は、養女の凜、実の娘である文を
一人の人間として尊重するより、
自分の目的をかなえるための
存在として扱ってしまいます。
新の育った家庭もまた
「家にとっての基準」を大切し、
個々の想いや個性をないがしろにした。
そんな空気が垣間見えます。
人はときに、
激しく嫌っていた相手と、
よく似たことをしてしまいます。
なんとも皮肉で、苦いものです。
このようにして、
家族の中では、
ひとつ上の世代で解決されなかった
悲しみや願いが、
「見えない荷物」として
次の世代へ渡されて
いくことがあります。
その苦さがこのドラマの
面白さでもありました。
家族関係をジェノグラムにして眺めると、
世代間の境界がいかに大切かが見えてきます。
感情にも境界線があるのです。
親の世代の責任には
自分の感情を顧みること、
そして、子どもに流しこまないこと。
そんなことも
含まれているのです。
だから、本来であれば
親の悲しみや願いを、
子どもが引き継いで解決する
必要はありません。
それでも子どもには、
家族の中で生き延びたい、
親とつながっていたいという
切実な欲求があります。
だからこそ、
親から差し出された荷物を、
つい自分のものとして
背負ってしまうのです。
さて、凜のもとには、
整形を希望する
さまざまな女性が訪れます。
その一人が、
声優の卵である田中善子です。
整形によって
新しい自分になろうとする善子は、
親の価値観や願いを
「捨てる」という宣言を、
高らかに朗読します。
もちろん、
実際に親を捨てなければならない、
ということではありません。
親の思いと
自分の願いがきちんと分けられ、
そこに押しつけや義務、
不理解がないのなら、
捨てる必要などないでしょう。
ただ、自分が今背負っているものは、
本当に自分の荷物なのか?
それとも、世代の境界を越えて、
親から差し出されたものなのか?
その荷物の「持ち主」を知ることは、
案外、大切なことなのだと思います。
凜と文もまた、
それぞれの世界を再構築し、
父親である新の支配から
旅立っていきました。
親には親の人生があり、
自分には自分の人生があります。
それまで背負ってきたものを、
「はい、これはそちらの荷物でした」
と、心の中で、
あるいは現実の関係の中で、
そっと返していく。
そうして境界を取り戻したとき、
私たちは少しずつ、
親の願いをかなえるためではない、
「自分の人生」を
歩き始められるのかもしれません。
ドラマのラストは、
二人の娘が出会い直す、
希望を感じさせるものでした。
新はおそらく、娘も仕事も、
築いてきたものの多くを失ったのでしょう。
少しかわいそうではありますが、
まあ、ある意味では自業自得です。
けれど、
すべてを失った場所から、
ようやく始められる人生も
あるのかもしれません。
そんなことまで考えさせられる、
余韻の残るラストでした。
子育て、人間関係、親とのこと。
あれもこれも試したり学んだけれど、
やっぱりスッキリしない。
もしあなたがそう思うことがあるなら。
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