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自分の人生を生ききるために

ライフキャリアをこれから立てていく小中高校生をはじめ、女性・男性、就業の有無に関わらず、「自分で選択したように自分の人生を生ききる」ことができるように、一緒に考えていきましょう。大丈夫、あなたの中にできる力は備わっているから。

こんにちは、人生をサバイブできる人になる! 

札幌のライフキャリアガイドの小島 麻子です。


「身体の健康に心が作用することがある」

聞いたことがあると思います。

では、実感として持たれている方はいらっしゃいますか?



聞いたことはあっても、実感されている方はそんなに多くはないかな?

というのは、気付いていないことがとても多いのです。

自身の体調不良が、心理的要素から来てるなんて思ってもみなかった。

今日は、またしても自分の話も織り交ぜて(ほとんど?)書いていこうと思います。



心の在りようが身体にどのように影響を及ぼすのか、

専門的なことは、脳科学でも心理学でも医学でも、どうぞ専門家の方へお聞きくださいネ。

私が確かに言えるのは、「影響はある」ということだけです。

そして、なぜ言えるのかというと、私がずっとその影響を受け続けてきて、

現在手放している(途中のものあり)からです。



すべてを書くと、書きあげるだけで日付を跨いでしまうので

ギュギュっと縮めますが、

どんな症状の経験があるかというと、

喉元がギュッと閉まる感覚、1日中続く弱い吐き気、大腸の粘膜の剥がれ、

超短期間での体重増加、十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、めまい、爪の割れ、

座骨神経痛、幻視・・・などなど。

まさしくイタい人ですねー。症状を書いてるだけで痛いです。




一気にすべての症状が出たわけではないです。

その時の環境に対して、自分の心の状態と理想との乖離があって、

それに応じた症状が出たのですね。

今は他人事のように言えますが、当時はただ苦しくて、逃げたかった。

でも、逃げなかったんですよ。「逃げられない、逃げてはいけない」と

思い込んでいたから。



当時の自分は、逃げられない理由にすべて「他人」を使っていました。

親・夫・子ども・上司・先輩・後輩・派遣元・他にも関係する人たち。

「~こうあるべき」「~しなければいけない」「完璧に」「絶対に」

こうやって自分を縛っていたのは自分。



根底にあったのが、

「親に恥をかかせたくない」(この年になっても未だ残っているのです)

「人に嫌われてはいけない」

「人より優位にいなくてはならない」

「限界までやらなくては、人に評価してもらえない」

「徹底的に尽くして、いなくなった時に自分の必要性を知らしめてやりたい」

今でも完全になくなったわけではないですが、まあ病気ですねー。

こうやって書いてみると、笑える。

「お前は何ものになろうとしてんかいなー」って。




どんなに自分に自信がないか。

自分の人生の軸がグラグラなので、外からの評価で埋めようとしていた。

人には、「あなたはそのままの存在でいい」って言っていたけれど、

自分にはそんなこと許可していなかったなーと。




そんなガチガチの鎖が緩み始めたのは、

いろいろなきっかけや人間関係の変化の波状攻撃のような気がするけれど、

一つ確実なのは、「今の仕事は続けられない」と仕事を辞めたこと。

「辞めます」と伝えてから2週間もせずに爪の割れはきれいに治った。

それまで爪の補強剤を塗っても塗っても、その上から割れていっていたのに。

座骨神経痛で鎮痛剤を限度一杯まで飲んでいたのに、

半量まで減らせた(完全に治ったのはつい先日だけれど)。





自分に合っていた職の時はそういう症状が一切出なかったの。

朝5時まで仕事して、9時に出社したり、

休日も出勤したりしていたけれど、ちっとも辛くなかったし、健康状態も

すこぶる良かった(今はできないけれど)。

心と身体が同じ方向を向いているなら、

忙しくてもムリなく働くことは可能だと思うの。




ここまで書いておいても、

辛いからと言って、誰にでも「仕事辞めてもいいです」とは言えない。

その人その人の事情があるものね。

仕事をすることがまさしく「生命線」の人だっているものね。

ただ、心に馴染まないことがどんなことなのか、知っておくことができたら、

身体を壊す前に、心で警報がなった時点で対処ができると思うの。

その仕事が向いていないのか、仕事のやり方を工夫することで善処できるのか、

共感してくれる人がいればやり過ごすことができるのか、

自分をみつめ直すことで仕切りなおせるのか。




一人で考えるのが難しければ、身近な人でも、カウンセラーでも。

メールを使ったカウンセリングは対面よりはリーズナブルな所も多いので、

それも方法の一つ。




そして、自分を中心に考えたとき、

自分の生き方とどうしても合わないものは、それ捨てていい。

仕事だけじゃない、その他の人間関係でも。

自分の人生で大事なことを描いて、

そこに繋がるもので大方を構成したら、人から見て大変そうでも、

理解されなくても、幸せな気持ちで歩んでいけるんじゃないかなぁ?



他人は自分の人生に責任とってくれないです。

自分の人生の主導権は是非ともご自分の手に。


こんにちは、人生をサバイブできる人になる! 

札幌のライフキャリアガイドの小島 麻子です。


あなたに質問です。

あなたが持っている役割は何ですか?



まず、思い浮かべるのは家庭での役割でしょうか。

夫や妻、父や母、息子や娘ですね。

それから家庭外での役割

学生・社会人、市民、あと趣味に生きる人とかね。

ざっくりでも、この中のいくつかを持ち合わせています。

また相手との関係性で、役割は幾つでも増えていきますよね。



自分を構成する要素が多面的に存在する、ということは、

自分を評価する人は、自分の一部分しか見ずに評価を行っている

考えることができます。

否定されたとしても、自分の一部分(それも正しいのかわからない)だけであって、

あなたの人格を否定しているのではないということなのです。



しかし、人から何を言われたからと言って気にするな、ということではありません。

どの役割もあなた自身が役を演じているのです。

あなた自身が色濃く反映されている姿なのです。

そこから得られるものを得て、役割に厚みを出したり、

大きさを増すことは必要なことです。



ところで、役割は人生の決断によって増えていくことは

理解されていると思いますが、減らすことは可能なのでしょうか?



自分で選んだ(強制的に息子・娘にはなったのでしょうが)

人生の中の役割です。

嫌なものの大抵は止めることができます。

特に、職業に関しては、わりあい止めて新しいものに変えることが

やりやすいです。



仕事もまた、人生の中の一部分の役割を演じることに過ぎない、と思うと

苦しい思いをしてまで続けることの意味というのは、

あなたはどう感じるでしょうか。

経済的にどうしても必要と考え、続けることも、

あなたの選択なのですからいいことなのです。



ただ、その一部分にあなたの心も体も蝕まれてしまうのは

ナンセンスだと私は言いたいだけです。

蝕まれんばかりに一つの役割に囚われていることは、

他の役割は疎かになっているのでは?と思うのです。



あなたが人生で重要視していること、‐仕事だけならそれも結構です‐ 

それが目標であり、仕事は手段のはずです。

仕事に没頭してはいけないのではありません。

仕事に身も心も入れ込むことだって必要な時があります。

その上で、大事にするものに一定のウェイトをかける必要性が

あることも知っておいて欲しいのです。

仕事が役割の一部に過ぎないと知って、コントロールできる人と

仕事が労働であるという意識が強くなり、

一つの役割に飲み込まれていくのでは、人生の満足度はどのくらい違うのでしょうか。



もう一度あなたに問いかけます。

あなたの役割はいくつありますか?

そして、大事にしたい役割は何ですか?


こんにちは、人生をサバイブできる人になる! 
 札幌のライフキャリアガイドの小島 麻子です。


今日は夕方までにブログを書き上げていたのに・・
ブッ飛んだ❗
ただ今せっせと書き上げて居ります。


それで今日は、地下通路を歩いてたときの話から始めます。
札幌の観光のメインストリートは、
札幌駅から大通公園、すすきの入り口辺りまでの道なのですが、
地下にも同様に地下通路、地下街が拡がっています。


地下通路の左右両端で展示販売や催しものをやっているんですね。
で、お客さんで賑わう、今日もそんな風景だったのです。
ただ1ヵ所を除いて。


その1ヵ所というのは、学生さんたちがグループで行っているようでした。
先生にでも言われたのでしょうか? みんな大きな声で
呼び込みをやっています。


学生さんたちの周りには歩行者はいません。いえ、通行している人がいないのではないのです。
みんな思い切り避けて通っているのです。
学生さんたちの所を過ぎると、歩行者は通路全体に広がります。


なぜなのか、皆さんにはお分かりになるでしょうか?
私が感じたことを幾つか挙げてみますので、
みなさんも一緒に考えてみてください。



1つ目は、学生さんたちの人数です。私がパッと見ただけで10人は数えられましたので、それ以上はいたのでしょう。


2つめは、そのたくさんの人数が大きな声で呼び込みをやっていたこと。
地下通路です。賑やかとはいえ、それだけの人数で呼び込みを大声でやれば、どんな音量になるかわかるでしょう。


そして3つめ。呼び込みの言葉が、
「いらっしゃいませ」
「いかがですか」
「お願いします」の3つだけだったこと。


4つめ、こんなに呼び込みをやっているのに、
何を販売しようとしているのか、全くわからなかったこと。
呼び込みに商品名も出てこなければ、看板・チラシのようなものも
全く見当たらず。


学生さんたちが持ち込んだ机の周りで、なにやら大声で呼び込みの台詞を言っていて、威圧感がある、ただそれだけにしか見えなかったのです。


通り過ぎて、他の展示販売店を見たときに、
無性に腹立たしい気持ちになりました。
学生さんたちに対しても少しはありましたが、多くは、
この学生さんたちの教師なり、指導者なりに対してです。


経験というのは、成功だけを指すものではありません。
失敗からも多くのことが学べます。
ですが、最低限のことは実地の前に身に付けてから人前に出さねば、
人前に立つことの意味を理解させることになりません。
販売をして、人と触れあうことで学びを深くしていきたいのなら、
人が遠ざかる状況を作り出したまま放ることは、指導放棄です。


「🎵ありのーままのー」で、仕事に立たれては迷惑です。
公共の場を使用する以上、学生だろうが当然です。
仮に小学生であっても、人が遠ざかる状況に対して
何も感じないのなら、その場で指導です。


失敗して学ぶ、失敗から学ぶ。いい言葉です。
目的を達成するうえでの課題となるのなら、
つまづこうが、失敗しようがいいのです。
でも今回は、それ以前の話し。
通行に支障を来すような呼び込みは、公共マナーの問題。
学校祭の呼び込みと同じだなんて思ってもらっては
困ります。


きっとキャリア教育やアクティブラーニングの一環で
行っているのだろうと想像します。
ただね、キャリア教育って、職業体験をたくさんやることじゃないですから。
社会に立つということは、どういうことなのか、
どういう能力が必要なのか、自分の能力の生かし方を考えてみる、その上での職業体験、丸ごと引っ括めてのキャリア教育です。
キャリア教育だって、教科学習と同じく、義務教育から積み上げが必要なのです。


キャリア教育はまだまだ途上。行っているだけ素晴らしいという意見があることも理解しています。
でも、先生方もまた専門職ですから、
専門から外れる押さえておかねばならない個所だけは、外部の力を有効利用して、生徒さんにお伝えして頂きたいと願います。