10年前、和太郎がバリ島で暮らしていた頃、ある日本人の母親と
息子と知り合った。インドネシア人の旦那と離婚、元旦那はイン
ドネシアへ帰国、生活に困った母子は元旦那の支援を期待しバリ
島へ渡った。
元旦那はジャワ人でバリ島ではなくジャワ島で暮らしているが、
母子が生活の場として選んだのは何故かバリ島、子どもの教育を
考えたらジャワ島よりバリ島が良いと言われた記憶がある。
当時、息子は13歳、バリ島へ来て以来2年間、学校へは通学して
おらず、その2年間は何をしていたのかも不明、2年もバリ島で
暮らしていたが、母子ともにインドネシア語のレベルはほぼゼロ、
息子に至っては日本の小学校から不登校、息子の気持ちとしては
母親と生活できればバリ島暮らしでも良いが、本心ではバリ島は
好きではないらしい。
そんな中、15年前、和太郎がインドネシア語を共に学んだバリ島
のウダヤナ大学時代のクラスメイトからメールがあり、娘と二人
で豊かな自然のバリ島へ移住したいとのこと。彼女は日本人でバ
ツイチ、元の旦那は日本人だが、彼女は娘とふたりバリ島へ移住
し娘をバリ島の学校へ入れたいとのこと。
外国人の子どもが日本の学校へ適応するために至れり尽くせりの
日本とは異なり、インドネシア語が話せなければインドネシア国
籍の子どもさえ受け入れないバリ島の公立学校の実態、子どもの
教育のためにバリ島へ住みたいのではなく、母親がバリ島に住み
たいのが本音なのだ。
これは、バリ島で暮らしたい母親と危うく犠牲になるところだっ
た子の一例であり、バリ島では珍しくないケース、多くは日本人
女性で男性は極めて稀で、バリ島で暮らす日本人女性と男性の比
率が推定8対2であることから容易に判断できる。
↓チェンマイの昼食は黄色いおかず