デヴィ夫人 | 和太郎のチェンマイ逃亡記

和太郎のチェンマイ逃亡記

約20年のサラリーマン生活から脱落、無職で常夏の国の生活
に憧れ2008年11月インドネシアのバリ島へ移住し11年滞在、
インドネシア人気質が嫌いで脱出を決意、2019年10月タイの
チェンマイに引っ越し、穏やかな国民性と街の心地良さが気に
入り住み着いてしまった。

インドネシアに由縁のある日本人として一番に

 

思い出されるのはデヴィ夫人ことデヴィ・スカルノ

 

(日本名、根本七保子)氏ではないでしょうか?

 

インドネシアの元大統領の第3婦人、現在は日本

 

でタレントとしても活躍しています。

 

 

 

1940年生まれで80歳とは思えぬ元気と日本を

 

愛する気持ちは今の日本人以上のものがあります。

 

東京都港区西麻布の生まれで父は麻布の大工の

 

棟梁だったそうです。

 

 

 

経済的には恵まれず、都立三田高校の定時制に

 

進学し、高卒以上でなければ入社できない当時の

 

千代田生命に入社するほど学業は優秀、昼は会

 

社で仕事をし、休日は喫茶店でアルバイトをする

 

親思いの少女だったようです。

 

 

 

父が亡くなり、17歳で会社を辞め、より良い収入

 

を求めて赤坂の高級クラブ『コパカバーナ』で仕事

 

を始めたのでした。

 

生まれ持っての美貌ですぐさま人気NO1、当時の

 

月給1か月を1日で稼ぐほどの人気だったようです。

 

お客さんの多くは外国人で、才覚のある彼女は稼ぐ

 

ためには英語が必要と考え独学で英語をマスター

 

したのだそうです。

 

 

 

ある日、彼女は帝国ホテルのレストラン前で友人と

 

待ち合わせ、偶然見かけたインドネシアのスカルト

 

大統領の目に留まり、側近に大統領とのお茶を誘

 

われ同席することになったのでした。

 

その後、結婚、波乱万丈の人生は続くのでした。

 

 

 

当時の彼女はベッピンさん

↑ネットより拝借

 

 

 

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。