チェンマイでハーレム玉本敏雄氏のその後 | 和太郎のチェンマイ逃亡記

和太郎のチェンマイ逃亡記

約20年のサラリーマン生活から脱落、無職で常夏の国の生活
に憧れ2008年11月インドネシアのバリ島へ移住し11年滞在、
インドネシア人気質が嫌いで脱出を決意、2019年10月タイの
チェンマイに引っ越し、穏やかな国民性と街の心地良さが気に
入り住み着いてしまった。

チェンマイで複数の少女たちと婚姻関係にあった

 

玉本敏雄氏が6年の刑期を終え神戸刑務所を出所、

 

向かった先はフィリピンであった。

 

1970年代後半から約10年間、フィリンピンに滞在、

 

複数の少女達と新しいハーレムを作ったのであった。

 

 

 

その間、チェンマイの少女達に会うため数回タイへ

 

の入国を試みたのだが、国外退去を受けているため

 

その都度入国を拒否され、チェンマイにいる少女達を

 

援助したり会いに行くのは年老いた彼の母親だった

 

そうである。

 

 

 

玉本敏雄氏のチェンマイにいる少女達へ会いたいと

 

言う一念は彼を新たな行動へ走らせたのであった。

 

チェンマイからほど近いカンボジアのアンコールワット

 

の遺跡で有名なシェムリアップという町に新しいハー

 

レムを作ったのであった。

 

驚くべき行動力である。

 

 

 

タイとカンボジアの国境にアランヤプラテートという町

 

があり、玉本敏雄氏はチェンマイに住む少女達に会う

 

ためカンボジア人の美しい少女とともに訪れたのであ

 

った。

 

本名、玉本敏雄(タマモトトシオ)、パスポートを偽造し

 

ギョクモトハルオを名乗っていたのである。

 

 

 

パスポートを申請する際、戸籍謄本は漢字名のみで

 

フリガナが無く、自己申請により作られることを悪用

 

したのであった。

 

事前に情報を得ていたタイの警察によって彼は旅券

 

詐称の容疑で逮捕されたのであった。

 

 

 

↓バーミーナーム

 

 

 

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