こんにちわ、ライフサルベージ代表、事業推進部の相澤です。
私のところには、幸せになりたい、自由になりたい、というご相談が数多く寄せられます。
いろんな立場の方がいらっしゃるので一概には言えませんが、それぞれに事情があり、それぞれに不満や不安があるのです。
多くのご相談者様が勘違いされていることがあります。
それは、その不満や不安が解消されたら幸せになれるというわけではない、自由になれるというわけではない、ということです。
なぜ、こんなことが言えるのかと言いますと、当の本人である私自身が以前、そういう人間だったからです。
この不満さえ解消されれば、この不安さえなくなれば。
きっと私はカンペキに幸せになれる、そんな風に考えていました。
いろんな勉強や経験をし、悩みのメカニズムを知った今、それは間違っているな、と断言しているわけです。
今日はその悩みのメカニズムについてはお話しませんが、幸せになるということについてのみ、少しだけご説明しましょう。
多くの人が、今欠けている何かを補うことで幸せになれると思っています。
短期的に見れば、それは間違いではありません。
確かにずっと足りないと思っていたものが埋まるのですから、一時的に満足します。
しかし、人はすぐ状況に慣れてしまい、精神が退屈になる生き物です。
満たされた状態に満足すると、すぐに次の足りない何かを自然と探し始めます。
わざわざ粗探しをして、揚げ足を取るかのように。
これでは生涯堂々巡りだというのはわかりますね。
これを避けるにはどうすればいいのか。
それには、納得してもしなくても構わないので、基準値を今に設定してみてください。
「今、この状況が幸せである」
と基準にしてみます。
「いや、だから今幸せを感じられないから悩んでるんじゃないか」とおっしゃる方も多いでしょう。
それは、何かと比較しての感情ではないか、内観してみてください。
もっといい給料をもらってる人がいるのに、もっとラクな仕事をしている人がいるのに、もっと美人な人がいるのに、もっと素敵な彼氏がいる人がいるのに、もっといい暮らしをしている人がいるのに、もっと楽しそうにしている人がいるのに。
それと比較すると私は、と思っての感情ではありませんか?
私は幼い頃、長い間重病を患っていたため、隔離された小児病棟に長期間入院をしていました。
そこは普通の病院では治療できない子供たちが集まっている場所でしたので、それはもう目を覆いたくなるような悲惨な光景を目の当たりにします。
幼稚園くらいの子供が5、6人、抗がん剤の影響で一本も髪の毛のない状態で青黒い肌に無表情なまま大きなベッドで移動している光景とか。
車椅子の背もたれの両側から頭部がはみ出ている、水頭症の子供とか。
脳の一部が生まれつきないために、頭が切り取ったような形になっている子供とか。
また、別の話。
私の友人の関係で、戸籍のない子供たちの存在を知っています。
親がまともな教育を受けないまま、14歳や15歳などで誰の子かわからないまま子供を産んでいるので、戸籍が必要だということ自体を知らないのです。
先日、二十歳で日本語の読み書きができない青年の話を聞きました。
心身共に健康ですが、親が精神疾患で子供を一切外に出さなかったために二十歳なのに社会的能力が育っていないのです。
いろんな人生があります。
いろんな立場があります。
私が毎日会っていた小児がんの子供の前で、「自分は幸せじゃないんだ」と言えたらなかなかのものですね。
納得しなくても構いませんが、今のあなたを死ぬほど羨ましいと思う誰かは必ずいるということを頭の片隅にいれておいてください。
あの病棟で死んでいった子供たちのこととかね。
今、この記事が読めるというだけで、あなたはかなり恵まれているという見方もあるのです。
いろんな見方を身に付けること。
実は、これが幸せになるために必要なことだったりもします。
いろんなものの見方についても、今後お話していきますね。
ありがとうございました。
事業推進部 / ライフサルベージ代表 相澤