【府中市】観音院 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

下染谷神明社に隣接する観音院を訪ねます。

 

 

駐車場完備の現代的なお寺。背景がマンションなのも都会的です。嘗ての甲州街道沿いに建っているのですが、中世の名残は一切残ってないですね。土が見えない地面って、なんか息苦しい感じがします。虫じゃないけど、自然が遠ざけられているような気持ちになってしまう。

 

門前に並んだ仏像の中には、庚申塔や馬頭観音もありました。でもなんか、お寺っぽさに欠けるなぁ。勝手な印象ですけどね。最近はビルの中にお墓があったり、お寺そのものがビルだったりもするので、そこが神社とお寺の大きな違いかもしれません。

 

 

境内は然程広くはなく、さっきお詣りした神明社の参道と同じ位の奥行です。ブロック塀で隔てられた鳥居が、現代の神仏分離のよう。ちなみにこのお寺の正式名称は、神明山観音院金剛寺です。山号からして、元は同じ境内にあったんでしょうね。

 

 

観音院を出て、旧甲州街道を東へ歩いていきます。幹線道路って基本4車線になっているので、こういったセンターラインだけで区切られた2車線道路は狭く感じられます。免許に年齢制限がないこともあって、蛇行運転するドライバーもいるから怖いですね。

 

歩いて移動する僕にとっては、ガードレールが無いことに恐怖を感じます。自転車も普通に歩道を走りますしね。道路に自転車の絵が描いてあるんですけど、そこを走ってると後ろから車に煽られたりするので、歩道を走る訳です。もうこの道幅じゃどうしようもないんですよね。

 

 

常夜灯が建てられている道辻で街道を離れ、南へ向かいます。常夜灯があるってことは古道なんでしょうね。畑が広がっていて長閑な光景です。歩道沿いにハルジオン(春紫苑)が咲いていますね。

 

春紫苑には貧乏草という別名があり、折ったり摘んだりすると貧乏になってしまうと言われています。手入れのされていない貧乏な家の庭に咲くことから、そう呼ばれるようになりました。要は「貧乏がうつる」ってことでしょうね。

 

あからさまな差別なので、今は口にする人も少ないでしょう。ただ、貧乏がうつる云々は置いといて、野に咲く花を摘むという行為には抵抗があります。これは以前お話したペットの話にも通じるのですが、手折るということは命を奪うということな訳です。

 

「植物には痛点が無い」とか、そういう話ではなく、愛でるのなら、移動が可能な生物(人間)が見に行けばよいのです。食用にするならともかく、家に持ち帰って観賞したいっていうのはエゴかなと。

 

「そんなこと言ってたら、日常生活が送れない」のかもしれません。だから僕は距離を置いてますよ。社会生活に参加する際は、ここでお話するようなことは一切口にしません。花を贈られることもあれば、ペット自慢されることもありますしね。

 

 

品川街道を越えて、再び京王線の踏切を渡ります。住宅街だけど戸建ての家が多く、時折さっきみたいな畑もあって、静かで落ち着いた雰囲気の街並みです。いつかここも高架になるんだろうか。

 

 

っと!なんと今歩いてきた道には「いなりさまみち」という名前が付いています。いやもうホントに、いわゆる何の変哲もない普通の道だったんですけどね。府中市は郷土史のPRに熱心なのでしょう。甲州街道と品川街道を結んでいたので、「やの道」(間の道)とも呼ばれていたそうです。

 

稲荷道ってことは、この先にお稲荷さんがあるってことですね。もちろん訪ねますよ。続きは次回に。それではまた!