【川崎市】潮音寺 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

潮音(ちょうおん)寺にやって来ました。

 

 

高石神社を創建した地頭の加々美金右衛門正吉が、三男の死を悼んで他所にあった寺を当地に移転させて中興したお寺です。江戸期の話ですが、一万石未満の小領主(御家人や旗本)を指す言葉として、地頭の名は残っていたようです。

 

「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉が残っているように、庶民に理不尽を強いる権力者として、良いイメージの無い地頭。そうして得た財で神社やお寺を建てたのかと思うと、あまりいい気はしませんね。神社やお寺に罪はないんですけどね。

 

「道理の通じない相手に何を言っても仕方ない」といった意味の「泣く子と地頭には勝てぬ」ですが、現代社会にもたくさんいますよね。だからこそ言葉が残っているのでしょう。

 

特に匿名性の高いネット社会では、ちょっとバズるとわらわらと湧いてきます。彼らは道理が通じないっていうレベルではなく、もはや「日本語が通じない」気がしますけどね。

 

 

これって、「萌える」は若葉に掛かる修飾語だと思いますが、「一年生」にも掛かっているとも言えます。そうなると全然違う意味に捉える人もいる。ロリータという言葉自体は70年前に出てきた言葉ですけど、たぶんずっと昔からあることなんでしょうね。

 

 

あっ!ここにも水垢無って刻まれた手水鉢がある。この辺りの文化なんでしょうか。川崎にある庚申塔には、必ずと言っていいくらい赤い涎掛けが掛けられているんですけど、情報伝達が限られていた時代には文化の地域性が如実に表れます。「この水は綺麗ですよ」ってことなんでしょうね。

 

 

庭園の池に鯉というのは、全国共通の文化ですね。今以上に移民を入れると、そのうち「お寺の錦鯉が盗まれた」なんてことが日常茶飯事になりそうです。農作物や銅線は既に「当たり前に」盗まれるようになりました。

 

移民ウェルカムを本気で言っているのなら、行政府は利権で動いていると言われても仕方ないでしょう。利権というより、もっと大きな権力を恐れているようにも思えます。ただ、いずれにしてもとどのつまりはお金です。

 

「金で自分の思い通りにしたい」という願望は、実際にお金を持つことである程度可能になります。そういう人達を避ける為には、拝金主義を止め、身の丈に合った生活をするのが最善策かもしれません。

 

そうは言っても「お金が無いと生活もままならない」でしょう。最低限のお金は必要です。ただ、がむしゃらに働いて僅かな賃金の上乗せをしても、搾取され、結果的に騙される。子育て支援の為にみんなでお金を出し合いましょうとかね。

 

決まってしまうと回避策は難しいのですが、例えば「ワクチンを打ったら誰が得をするのか」とか考えて、自分で判断して行動する。「専業主婦を批判して女性の社会進出を促したら誰が得をするのか」とかね。努々(ゆめゆめ)マスコミの煽りに乗っかってしまわぬよう。

 

 

天水受に雨樋が直接刺さってる!合理的ではあるけど、なんかちょっと違和感。

 

 

確か信松院(八王子市)にもありましたね。風除けフードの中に線香を点す為のカセットコンロ。あの時は風が強過ぎて線香の販売も中止されていました。今日は販売中ですが、お墓には立ち寄らないのでスルーします。

 

次回は五重塔に向かって再び丘を上りますよ。それではまた!