【相模原市】小原宿 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

相模ダムから甲州街道へ出て、北東へ歩いています。

 

 

相模川から甲州街道への道が上りなのは、谷から山へ行く感じなので仕方ないんですけど、街道も上りになっています。想定内とはいえキツイ。脚が痛いというより、汗が止まらなくて大変です。この道端の弦植物の生命力を見習わなくては。

 

 

山の中の国道なので、歩いている人はほとんどいません。車がすぐ脇を走り抜けるアスファルトの道って、歩くの辛いんですよね。排気ガスも吸わされるし。正面に見える高架は、相模湖東ICの出口道路です。中央道は見えず、山の中からいきなり道路が出現する感じです。

 

 

これなー。高齢化の弊害ですね。免許証の返納を義務化できないのは分からないでもないけど、ブレーキとアクセルを間違えて事故ったら一発取消にすべきでしょう。同様に逆走とかあり得ないので、これも一発取消でいいと思います。

 

だってルールを守ってる人が正面衝突くらうんですよ。言い訳なんて聞く必要ないでしょう。なんていうか、票田になる高齢者には甘いよなぁって思います。「車が無いと日常生活に支障をきたす」からって、人を轢いていい訳ないし、判断力の無い人に免許を交付(更新)する方がおかしいのです。

 

ついでに言えば、意図的に増やしている移民に対しても甘いです。「日本語が分からなかった」なんて人を日本に永住させるのは、明らかにおかしい。ましてや無免許で公道を走っているのを野放しにするとか、愚策云々の前にガバナンスの問題です。期待はしてないけど、最低限の政治(仕事)はしろよって思ってます。

 

 

あっ!電車!と咄嗟にシャッターを切った割には、いい写真が撮れました。あずさかな。かいじかも。中央線の特急って格好いいですよね。たぶん乗客に「あんなとこ歩いてる人がいる」って思われてるだろうなぁ。でもいいのです。そんなあなたとも、袖すり合うも他生の縁なのです。

 

 

小原宿に到着。日本橋から数えて、甲州街道の9番目の宿場です。東西2町半(約270m)の小さな宿場町で、与瀬宿と対になった片継ぎの宿場です。江戸から来た人は小原宿、甲府方面から来た人は与瀬宿に泊まることになっていました。

 

小仏峠が難所だっただけに、どちらも重要な宿場でした。富士講や身延講の人々も利用していたようで、当時は賑わっていたのでしょうね。今はひっそりとしているものの、この辺りだけ所狭しと住宅が並んでいるので、面影は感じられます。

 

 

遺されている建物は、明治23年(1890)の大火で焼失後に再建されたものです。写真は小松屋という旅籠ですが、旅籠っぽさよりも養蚕農家っぽい造りになっています。それでも嘗ての旅籠を示す看板が架けられていて、風情は感じられます。

 

次回は神奈川県で唯一残る小原宿本陣を訪ねます。それではまた!