【品川区】戸越銀座 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

台地を下りて平和坂までやって来ました。

 

 

大正期には有隣社通りと呼ばれていた平和坂。昭和23年(1948)に平和坂通り商店会が結成され、平和坂の名が付けられました。左右に走るのは三ツ木通りで、嘗てこの辺りが三ツ木耕地(荏原郡品川町大字北品川)だったことの名残を感じます。

 

 

三ツ木通りを西へ向かうと戸越銀座です。全国にある〇〇銀座のパイオニアですね。銀座のような賑わいだから、あるいは銀座のように賑わって欲しいから〇〇銀座と名付けられたというのが定説になっていますけど、戸越銀座の場合は肖(あやか)りではない理由があります。

 

北から台地を下ってきたことと、ここから平和坂が始まることでも分かるように、ここは低地帯です。特に関東大震災で被災した後は、雨の度に冠水して泥濘(ぬかるみ)になるような場所でした。

 

同じように震災の被害に遭った銀座では、道路をレンガからアスファルトに舗装することになり、不要になったレンガを戸越が譲り受けて道に敷き詰めたのです。その縁で銀座の名が付いています。「銀座よありがとう」な意味での戸越銀座なのです。

 

 

商店街の途中にある宝徳稲荷です。都心の神社って感じですね。

 

 

なんか、狛狐の表情がシニカル。

 

 

2016年には電柱が全て地中化され、夕方は歩行者専用道となる商店街は人の波でごった返しています。約1.3kmに400もの店が軒を連ねており、シャッター街には羨ましい光景です。手前の虎のように見えるキャラには、戸越銀次郎という名前が付けられています。ちなみに野良猫です。

 

十条銀座(北区)、砂町銀座(江東区)と並んで三大銀座と称される戸越銀座。来客数では十条や砂町に及びませんが、店舗数と長さでは№1です。活気のある街を歩くのは、それだけでテンションが上がりますよね。車社会になってから地方の商店街の衰退が激しいですが、富山市が取り組んでいるような都市回帰政策等で、地方のシャッター街にも賑わいが戻るといいですね。

 

 

戸越銀座から八幡坂通り商店街へ入ります。またまた昭和なコインランドリーを発見。こちらには乾燥機がありますね。銭湯とコインランドリーは昭和文化の語り部です。また、電化製品に囲まれた生活をしていても、停電や故障でお世話になることもあります。まだしばらくは現役で活躍していくでしょう。

 

次回は八幡神社をお詣りします。それではまた!