【川崎市】夢見ヶ崎銀座 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

無量院から北へ向かって歩いています。

 

 

人口減少社会を迎え、空き家の問題も顕在化してきました。建物を撤去するにも費用がかかり、それを負担する人が存在しないという問題です。複数の所有者が登記されていた場合、全ての人の意思確認が必要となりますが、その行方が掴めないというケースが発生しています。

 

都市部ではタワマンの建設ラッシュが続く中、ちょっと郊外を歩くと目にする人の気配のない建物。人間はやはり、根本的に寂しさを大きな不安として抱えているのでしょう。群れたがる傾向は、原始社会から変わっていないように思います。人手が多い方が多くのことを成し得るという合理性も拍車をかけているのでしょうね。

 

 

宅地化するに当たって、一定の面積を公園等の公共施設にする必要があるのかもしれませんが、ほとんど活用されていない小さな公園というのはよく見かけます。この公園も、「生垣で囲んで滑り台を置きました!」という、言葉は悪いですがやっつけ仕事感が満載です。ただ、非常時の避難所としては意味があるのでしょうね。それであれば、水の確保は必須にするといいかもしれません。

 

 

都市部の商業地では電柱の地中化が進む一方、住宅地では巨大な鉄塔が「倒れない前提」で残っています。電気の供給は現代社会で最優先のライフラインであり、これを将来どのようにしていくかは最大の課題でしょう。なんでも地下に埋めればよいというものでもないでしょうし、地震という大きなリスクもありますしね。

 

 

緑道に遭遇。真っすぐ歩いていくと小倉小学校に出るので、小倉池に繋がっていた用水路の痕跡かと思われます。米で経済が回っていた時代には、用水路が最も大事なインフラだった証ですね。

 

 

夢見ヶ崎通りに到着。ここが通称夢見ヶ崎銀座という商店街です。地方ではシャッター街の問題が深刻になっており、今般のコロナ騒動で状況はさらに悪化しています。とはいえ、人がいなければ商店のニーズもなく、ネットの普及で対面販売はデパートですら厳しくなっています。

 

 

かつての賑わいが、文字通り色褪せていることを感じさせるレリーフ。昭和は子どもが多かった時代であることを象徴するような、今で言うゆるキャラですね。未来が豊かになることを「夢見」た子ども達は、まさか自分達が若年世代の負担になるなんて、それこそ夢にも思わなかったでしょう。

 

今回は硬い話ばかりになってしまいました。次回は商店街を抜けて、さらに北へと歩いていきます。それではまた!