【羽村市】禅林寺 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

多摩川に向かって、羽村街道を歩いています。

 

 

稲荷神社に立ち寄ります。本殿は羽村市の有形文化財に指定されています。こんな立派な神社なのに、特に名前は付いていないようです。八雲神社が合祀されており、境内には本殿と同じく文化財となっている山車もあります。

 

 

高台にある稲荷神社を下りると禅林寺です。境内に入ると最初に目を引くのが中里介山の墓碑(1944年没)。お墓は本殿裏山にあります。介山は羽村生まれの作家です。代表作は大衆小説の先駆けと言われた「大菩薩峠」。菜食中心のストイックな生活をした介山は、生涯独身を貫きました。

 

 

池に繋がる洞窟の中には祠があり、水晶宮と書かれています。水神社かなと思ったけど、違うようですね。クリスタルとは関係なさそうですが、何だろう。中に水晶が入っていたらびっくりですね。

 

 

「豊饒碑銘」と刻まれた「天明義挙の碑」。天明の大飢饉によって、全国で発生した天明一揆。それに加わって殉死した9名の村民を讃えるもので、羽村市の史跡に指定されています。飢饉が発生し、治安が悪化して、幕府が改革に乗り出すという江戸期のパターンで言うと、松平定信による寛政の改革がこの後行われています。

 

 

先程見た洞窟の真上辺りに、ずらっと石像が並んでいます。一番手前は馬頭観音ですね。庚申塔もありそうです。

 

 

予想通りありました。これだからお寺はスルー出来ません。エリア内の区画整理等で集められることが多いのです。お寺は庚申塔の避難所とも言えます。この庚申塔は上部が縦横に割れてしまって、修復されています。青面金剛が、餓鬼ではなく三猿の上に載っているようにも、宙に浮いているようにも見えます。一揆の石碑を見た後に見ると、「生かさぬように殺さぬように」虐げられていた人々の、願いの強さが伝わってくるような気がしますね。

 

次回もさらに街道を進んで行きます。それではまた!