中原街道を東へ歩いています。
石橋醤油店に差し掛かりました。明治三年(1870)創業で、昭和二十六年(1951)まで醤油を製造していた場所です。道路の拡張工事で、敷地が削られてしまったようです。明治・大正・昭和・平成・令和と続いてきた建物は、是非このまま残して欲しいですね。いま元号を五つ並べましたが、明治の前は江戸時代なので、江戸時代ってそんなに昔でもないんですよね。
この辺りの住所表記は小杉陣屋町です。なんだか歴史の只中を歩いているようで、テンションが上がります。
バス停も陣屋町。
そのバス停のすぐ近くに、現役の安藤家長屋門があります。後北条氏の家臣だった安藤大炊助(おおいのすけ)重虎を祖とする安藤家は、主君が秀吉に滅ぼされた後、小杉に帰農し、江戸時代には割元名主となっています。割元は士分に準じた身分で、庄屋以上、代官・郡代(郡奉行)未満のような役職でした。
長屋門の向かいに"Fujiya"の文字。「不二家がこんな所に!」と思ってよく見たら、藤屋という酒屋さんでした。
なんか影が視界に入って気になるので、立ち止まって撮ってみました。影踏みするには持って来いな濃さですね。当たり前だけど同じ動きをして付いてくるので、ドッペルゲンガーのように感じたのです。ドッペルゲンガーをホントに見たら死の前兆なので、不吉な存在ではありますが、僕は多分ホントにいるんだろうなと思っています。芥川龍之介は自身のドッペルゲンガーを見たと言われてますね。
日本語では自己像幻視と訳されており、あくまでも幻視扱いで、脳機能障害として説明されています。ただ、第三者によるドッペルゲンガーの目撃は本人の脳機能障害では説明できず、それが複数の目撃となると、並行世界(パラレルワールド)やタイムトラベルのような概念を持ち出さないと理解が難しい話になってしまいます。
ちょっと話を広げ過ぎました。次回も江戸時代の名残を訪ねて歩きます。それではまた!