【武蔵野市】関前八幡神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

武蔵野大学前交差点から、旧五日市街道を南東へ歩きます。

 

 

歩き始めて最初の交差点にある倚鍤(いそう)碑。「倚鍤」は、「鍤(鍬や鋤)にもたれて往時を回顧する」という意味です。

 

この石碑は、明治三年(1870)に起こった御門訴事件で、首謀者として捕らえられた名主の井口忠左衛門等の慰霊塔です。井口等は、品川県(当時)が凶作や飢饉に備えて発令した社倉政策に反対し、県庁(日本橋浜町)門前で集団訴願を行いました。訴えにより、当初に比べて出穀高は大幅に減額されたのですが、捕縛された者の多くは過酷な拷問により獄死しています。

 

余談ですが、この頃の世相を描いた「明治開化 新十郎探偵帖」という番組が、金曜夜20時にBSP(BS時代劇)で放送されています。坂口安吾の「明治開化 安吾捕物帖」をベースにしており、主演の探偵は福士蒼汰、そのツンデレ彼女(?)に内田理央、勝海舟に高橋克典等がキャスティングされています。日曜日の通称「早麒麟」(BSP18時)の後に再放送されるので、興味のある方にはお勧めです。

 

 

倚鍤碑の向かいにセブンがあったので一服します。今日はいつものカフェラテです。コンビニ飲料だけど、クオリティ高いですよね。

 

 

武蔵野大学の学生課の名前で貼紙がありました。店にクレームがあり、そこから大学へ苦情が入ったのでしょう。注意書きにもあるように、「周りの方への配慮」があれば、ポイ捨てや放棄等の物理的な行為は発生しません。行動は人の心を映す鏡と言われる由縁ですね。

 

 

コンビニからリスタート。グリーンパーク緑道を横切ります。今回の探索で最初に歩いた、武蔵境から玉川上水へと続いていた緑道と同じく、廃線跡の緑道です。境浄水場から中央公園へと延びていた線路は、1951年に1シーズンだけプロ野球が開催された、武蔵野グリーンパーク野球場へ向かう為のものでした。

 

当時は国鉄スワローズ(現ヤクルト)のフランチャイズ球場にと目されていたようですが、集客が見込めず断念したようです。首都圏の球場不足解消の役割も担って建設されたのに、米軍に接収されていた神宮球場が返還され、同時に川崎球場がオープンしたという背景もあったようです。

 

 

関前八幡神社に到着。この辺りは練馬の関村(当時)の前に当たるので、関村前と呼ばれていました。その後関前新田と改称されましたが、享保の改革時に新たに関前新田が開発された為、区別するために関前村となったようです。ちょっとややこしい経緯ですね。現在も五日市街道と玉川上水に挟まれた地域に、関前という地名は残っています。

 

 

縦長な短冊型の敷地になっている境内は、新田開発時の区割りの名残です。後北条氏の家臣であった井口八郎右衛門が関村に帰農して、この地の開発を始めた頃に、関前村の鎮守として八幡神社が建てられました。土地を新たに拓く際に鎮守を置くのは、八百万の神を祀る日本人らしい発想ですよね。祭神である応神天皇の霊威で、元の地主神を鎮守して欲しいと祈願された神社なのです。

 

次回は、同じように短冊型の敷地になっている延命寺を訪ねます。それではまた!