【港区】幽霊坂 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

聖坂から幽霊坂を下って行きます。

 

 

道の両側に寺院が建ち並び、昼間でも薄暗い寂しい場所だったことから、幽霊坂の名が付いた道です。

 

 

正覚院にある福島正則・正利親子の供養塔。

 

賤ケ岳の七本槍と称された正則は、関ケ原合戦の功で、安芸広島と備後鞆の49万8千石を与えられます。しかし家康の死後、台風の被害に遭った広島城を無断で修繕したことが武家諸法度に触れるとの咎で、信濃へ減転封(4万8千石)されてしまいます。

 

その後、家督を嫡男忠勝に譲って出家しますが、忠勝が早世した為(享年23)、2万5千石を幕府へ返上しました。その4年後に正則は死去しますが(享年64)、幕府が遺体の検死をする前に家臣が火葬してしまい、残りの2万石も没収され、福島家は改易となります。

 

この時、忠勝の異母弟だった正利は父の遺品を将軍家に献上しており、その甲斐あってか旗本として取り立てられています。ただ、正利には嫡子がなかった為、正利の死から44年後に再興される迄、福島家は一時断絶しています。

 

 

幽霊坂の真ん中辺りにある玉鳳寺にやって来ました。山門は、檀信徒総代だった高橋是清によって寄進されたものです。

 

 

山門の左手は地蔵堂になっており、そこに化粧地蔵が安置されています。ご覧の通り、お地蔵さんが真っ白ですね。しかも、堂内は化粧の匂いが充満しています。同じ白い地蔵でも、塩地蔵とは全く違った雰囲気です。

 

 

玉鳳寺の和尚さんが、拾ってきた泥塗れのお地蔵さんを修繕するも思うようにいかず、顔に白粉(おしろい)を塗って祀ったところ、和尚さんの顔にあった痣が消えてなくなったそうです。これを聞きつけた市井の女性達が殺到。現在でもお参りする人が絶えないという状況です。いわば、とげぬき地蔵ならぬ「しみぬき地蔵」ですね。

 

 

境内には、三猿が上下に分かれた庚申塔もありました。

 

次回も幽霊坂にあるお寺訪問です。それではまた!