東運寺にやって来ました。
寺の前の道に道標があります。東運寺の屋根には大きな釜が載っており、釜寺とも呼ばれています。
道標の隣にある身代わり地蔵。「山椒大夫に釜茹でにされそうになった厨子王を、お坊さんの姿になって助けた」とされるお地蔵さんです。
奥州から筑紫へ流刑になった父、平政道を訪ねて、直江津に辿り着いた母と姉弟(安寿と厨子王)は、人買いに騙されてしまいます。山椒大夫に売られた姉弟は、日々過酷な労働を強いられました。
16歳の姉は、13歳の弟を密かに逃がそうとしますが、山椒大夫に気付かれてしまい、焼け火箸で罰を受けます。しかし肌身離さず持っていた地蔵守のおかげで、傷痕が残らなかったそうです。
後日弟の脱走は成功し、一家を騙した人買いと山椒大夫に復讐を果たします。厨子王は母との再会も果たしますが、後で落ち合う約束だった安寿は、厨子王を逃した後、沼に身投げしていたのでした。
地蔵の足元のぬいぐるみや花は、そんな姉弟の供養となっていることでしょう。
釜寺の山門です。一関藩主だった田村家の江戸屋敷脇門で、浅野内匠頭が切腹の際に潜ったと伝えられています。
境内に入ると、円柱形の庚申塔がありました。
厨子王と身代わり地蔵の話に因んで、屋根に釜が載る本堂。米一俵が炊ける大きさだそうです。
湯島聖堂の苗木を譲り受けた楷の木(楷樹)。孔子木の別名通り、孔子家(七十七世)から種を提供されたものです。
次回は、方南町駅方面へ向かいます。それではまた!