新版(2023年5月発売)の変更点・追加部分の紹介です。前回は、四人が太蒼山に到着し、道人が迎えに来る場面まで紹介しました。(だいたいの意訳です)

神武殿では、香鼎からゆらりと煙が立ち上がり、神武殿全体を幻境のように染めていました。梅念卿は神武大帝の神像の前で、お香を供えているところでした。

 

一列に並べられた長明灯が灯の壁を成していて、どの長明灯にも奉納者の名前と祈願が、端正で荘重な隷書体で書かれています。

 

三人は殿の外で待っていました。

子供はこの金色に輝く大殿を見回していましたが、取り乱す様子もなく、風信と慕情が殿外の円座の上で跪くように言っても、何を言ってるのかわからないかのように突っ立っていたので、どうしようもなく、好きにさせていました。

 

謝憐は殿の中に入り、尋ねます。「国師、何か急用ですか?」

少しして、梅念卿は口を開きました。

「太子殿下、長いこと考えたのですが、祭天遊のことは、二つの解決方法しかありません」

 

そんなことか。太子妃を選ぶようにと言われなくて、謝憐はほっとします。

「国師、お話しください」

 

「一つ目の方法は、太子殿下が自ら民に対して懺悔し、一ヶ月禁足して面壁(壁に向かって座禅)し、天に許しを請うことです」

「ダメだ」これはまだ軽い解決方法でした。それなのに謝憐は考えもせずに拒絶します。

 

「本当に面壁するように言ってるんじゃない、ただ形だけでも...ゴホン」神武大帝の神像の前であることを思い出し、急いで言葉を改めます。「十分な誠意さえあればいいのです」

 

国師が言い間違えたのを聞いて、謝憐も笑い出しそうになりましたが、急いで表情を整え、再度「ダメだ」と言います。梅念卿は急に振り返って、理解に苦しむように「理由は?」と尋ねます。

 

「国師、今日山を降りて、民が私を責めていないのを見聞きしました。逆に、皆は子供を救ったことが正しかったと、賛同していました。もしあなたが言ったように、正しいことをしたのに面壁するなら、彼らはどう考えるでしょうか?今後、彼らはどうしたらいいのでしょうか?」

 

「この件が正しいかどうかは、もはや重要ではないんです」

 

謝憐はキッパリと言います。

「いや、正しいかどうかは重要です」

 

「太子殿下、あなたはどうして彼らがどう考えるかを気にするんですか?今日はこう考えても、明日はまた考え方が変わるのです。私たちにとってはお上へ慎重に配慮した方が大事なのです」

 

「どうしてお上へ慎重に配慮することが大事なんですか?」

「え?」

 

謝憐は今日は簡単に終わらないことを知っていたので、もう胸の内をはっきり言うことにしました。

 

「国師、実は修行を始めてから、ずっと疑問があるのですが、今まで明言したことがありませんでした。今日ここで大胆に申し上げます。人々が神に跪いて拝むことは、本当に正しいのでしょうか?」

 

梅念卿は眉を上げます。「太子殿下のこの問いは不思議ですね。人に信仰があることを、間違いだと言うんですか?」

 

謝憐は少し首を振ります。

「信仰自体は間違いではありません。ただ、私が言いたいのは、''膝いて拝むこと''です」

 

顔を上げて神武大帝の神像を指差して言います。

 

「人は飛昇して神になります。神明は人にとっては先輩、先導者であり、道標になる明灯ですが、主人ではありません。我々凡人は感謝することも、賛美することも、肩を並べて進もうとすることもできますが、恐縮したり、ましてや奴隷のように自分を失う必要はないと思うのです」

 

梅念卿は何も言いません。謝憐は続けます。

 

「私は、千の灯を供えて、長い夜を照らしたいと思っています。たとえ、火に入る夏の虫だとしても、恐れるものはありません。でも、正しいことをしたことに対して、頭を下げることをしたくないのです。

 

''面壁思過(面壁して''過ち''を思う=面壁して反省する)''とは言いますが、私にはどんな過ちがあったと言うのですか?あの子にはどんな過ちがあったと言うのですか?天の神々に本当に情があれば、こんなことではきっと罪を問いません」

 

梅念卿は冷たく言います。「太子殿下、ではもし罪を問われたらどうするんですか?それでもあなたは改めないんですか?」

「もしそうなら、それは天が間違ってて、私が正しい。天と最後まで抗います!」

 

梅念卿は顔色が暗くなります。

「太子殿下、あまり絶対的なことを言わない方がいいと思いますよ。あなたの考え方は、前にも持った人がいないわけではありません。しかし、数百年、数千年後でも、まだあなたが賛同しないものが世を占めているということは、先人達が失敗したということです。

 

知っていますか?長い間ずっと言い継がれてきた言葉で、その言葉が間違ってるのに、誰も気付かなかった言葉があります」

 

「何の言葉ですか?」

「人は上に行けば神になり、下に行けば鬼になる」

 

「この言葉のどこが間違っているのですか?」

「当然間違っています。覚えていてください。人は上に行っても人だし、下に行っても人でしかないのです」

 

謝憐はまだ咀嚼していましたが、国師は続けます。

「太子殿下、一つ目の解決方法を取りたくないのなら、二つ目を取るしかありません」

 

謝憐は我に返ります。「どんな方法ですか?」

「二つ目の方法は、祭典をぶち壊した子供を連れてきて、祭壇で法術をして、彼の感覚を一つ封印することで贖罪するのです!」

 

そんなバカな!

謝憐は勢いよく頭を上げ、「ダメだ!」と言います。

 

国師が子供を連れてくるように言ったのは、この為だったのです。そんな方法、良いわけがありません。絶対に!

 

子供は殿の外で待っていて、謝憐は急に胸騒ぎがして、その場で飛び出そうとしましたが、振り向いた時にまずいと思います。命令を聞くと、殿の前にはひと並びの剣を持った道人が出てきたのです。梅念卿は急いで殿の外に出ると、「太子殿下を止めるんだ!」と言います。

 

外の子供は、誰かに強い力で掴まれたのか、痛みで泣き叫びます。その声を聞いて、謝憐は本気で怒りが湧いてきたのです。子供をこんなふうに虐めるなんて。

 

謝憐は軽くフンと鼻を鳴らしました。それに呼応するかのように、殿の中や外の数百の長明灯が突然身震いします。

 

そして剣を持った道人達も、どれもが百人から一人選ばれたような名手なのですが、謝憐の聞こえるか聞こえないかの音を聞いて、不意に剣を握る手を強めました。二十数人の道人は顔を見合わせると、網状の剣陣で襲いかかってきたのです!

 

突然白い光が飛び出し、二十数本の剣が殿前の地面に次々と突き刺さりました。誰も謝憐がどうやってそれを成し遂げたのか、よく見えませんでした。謝憐の剣を鞘に戻す清らかな音が聞こえ、立ち位置も全く変わっていませんでした。

「失礼した」

 

二十名の道人は既に武器を失い、戦いに固執することもなく退きます。

しかし、殿の入口には新しく一列の道人がやってきて、今度は四十人でした。彼らは、ただ謝憐が殿を出られないようにするためだけにいたのです。

 

謝憐が外に目を向けると、梅念卿は腕を組み、風信と慕情は剣に指されたまま囲まれていました。謝憐はどうしてこんな局面になったのか、疑問を抱きます。

 

子供は二人の道人に掴まれていて、懸命にもがいています。謝憐は尋ねます。「国師!これはあなたのやり方じゃない。どうして今日はいつもと違って、どうしてもこうするんですか?」

 

「太子殿下、あなたの為です。今日このことを解決しないと、この先災いが尽きません!」

 

今にも子供を連れて行ってしまいそうな姿を見て、謝憐はまだ神武殿の中に取り残されていて、この四十人を退かせてもまた八十人に囲まれることを分かっていたので、切羽詰まって「待ってください!」と言います。

 

梅念卿達は振り返って彼を見て、謝憐は拳を握り締めます。

次の瞬間、右手で腰の剣を放り出し、左手で髪をまとめていた金冠を取り、長い髪を下ろしました。

 

子供は目を見開きます。

 

風信と慕情も驚きます。

 

国師「太子殿下、これは...」

 

「面壁しますよ!今から禁足します」

「.....」

 

皆は顔を見合わせます。

謝憐は両手は空で、金飾も取り、もう何も武器はないことを示します。「自分でやったことは自分で責任を取る。国師、子供を放してください。彼にはまだ傷があるんです。彼を連れて帰ったのは脅かすためではありません」

 

誰も、太子殿下が本当に譲歩するとは思っていませんでした。

謝憐自身も、ここまで追い詰められるとは思っていませんでした。最終的には二つの方法の中から選んだのです。

 

梅念卿もほっとしたようで、二人の道人に子供を放すように手を振って指示します。

 

そして新しい命令を言い渡します。「太子殿下は面壁することを承諾した。今、君たちの任務は太子殿下を見守ることだ。もう決して何の間違いも起こってはならない!」

 

梅念卿は扉の前に立ち、言います。「太子殿下、禁足は今日から数えますか?」

謝憐は一目見渡すと、神武殿は隙もなく包囲されていて、もし自分が本当に離れようと思えば、これの百倍の人を追加しても止めることなんて出来ないのに、と思いながら答えます。「国師のお好きな日から数えてくれて構いません」

 

彼は生まれてこの方、頭を下げたことはないのです。それに、この件に関しては自分が間違ったとも思っていません。それなのに、面壁するように言われ、天下に対して懺悔するように言われるのは、本当に心から気が進まないのです。

 

国師はこれまでずっと陳腐な人ではなく、国師とは言うけれど本当は兄のような感じで、今までもずっとお互いのことをよく理解できて、何か考えを無理に押し付けることは今まで一度もなかったのです。

 

今日は人が変わったような感じなので、やはり少し意地になってしまいます。それは梅念卿も感じていて、ため息をつきながら言います。「太子殿下、あなたは.... はぁ。しっかり反省してください」

 

神武殿の二つの大きな門がゆっくりと閉まると、謝憐は神武大帝の神像の方を向きました。面壁を約束したのだから、果たさないといけません。ちょうど衣の端を払って跪こうとした時、門の外から子供の吠えるような声が聞こえてきます。

 

その声は極限までに怒りに満ちたようなようなもので、神武殿全体の長明灯も少し震えました。一瞬どんな生き物が発した音なのかも分からず、危うく謝憐まで驚いて身震いしそうになりました。

 

 

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前半の会話はほぼ旧版のままですが、旧版では会話中に割とすぐに妖魔が出てきて、妖魔が落ち着いてからまた話の続きをするのですが、

 

新版では「人は上に行っても人で、下に行っても人」の会話が前に寄せられて、国師が強行手段に出て、謝憐が譲歩する描写になっています。(杯水二人の会話は、どちらも妖魔が落ち着いてからです)

 

この辺りの会話は、謝憐はまだ十分に咀嚼できていないようでしたが、間違いなくこの先の謝憐の行動に影響を及ぼしていて、梅念卿が君吾と謝憐を分けたキーマンだと言っても過言ではないと思っています。(記事53『君吾と謝憐の違い』参照)

 

そう思うと、この場面はとても大事な場面だと思います。(過去編とは言え、どの場面も重要な意味があるように感じます)

 

 

そしてこの改変によって、謝憐が自分の信念を曲げてでも子供を守ろうとしたことが鮮明になり、子供がそれによって興奮して激昂したことで怨霊が集まったような設定になるので、より流れとして自然で、二人の関わりがより強められた感じがします。

 

いつもは兄のように理解のある国師が、いつもとは違って強行手段に出ているので、どうしてもそうしなければいけない意味がありそうですね。このあたりの種明かしは終盤になりそうな気がします。

 

細かいですが、子供が神武殿に向かって跪かなかったのも気になります。謝憐と同じように、神に対して跪く必要はないと思っていたのか、それとも今まで不幸すぎて、幾度となく神に拝んでも意味がなくて、神を信じなくなったのか。ここも吟味する価値がありそうです。

 

そして、ここも細かいですが、謝憐が武器を捨てて、左手で髪をまとめていた金冠を取って長い髪を下ろした時、子供が目を見開いている描写があります。

 

まだ子供ですが、長い髪を下ろした謝憐を見て、そんな表情をしたと思うと、少し萌えました照れ(そういう意味じゃない)

 

謝憐が強いことも、また強調されています。ここはあまり具体的な戦闘シーンの描写ではないのに、一行二行で謝憐の強さが描写されているのが本当に秀逸だと思います。