花城は度々自分のことを“良い人ではない“と言っています。(少しネタバレを含むので、お気をつけください。)

 

牛車で謝憐と話していた時に、血雨探花は生きている時はどんな人だったか?と尋ねられて「良い人ではなかった」と答えているし、のちに戚容が憑依した青年の子供、“谷子“に会った時も、自分のことを「悪い人だよ」と言っています。

実は、花城が牛車で血雨探花(自分)のことを“良い人ではなかった”と言ったことが私の中ではずっと引っ掛かっていました。後に、彼が銅爐山に迷い込んだ人間達を救ったことも記載されているし、彼が強い鬼でありながら無駄に殺生をしていないことから、彼が悪い人だとは思えなかったのです。今日はどうして花城が自分のことを悪い人だと思うのか、考察してみたいと思います。
 

 

彼が小さい頃、城に登った理由から話すことになります。以前記事で彼がどうして城の上に登ったのかについて書きました。こちらの記事です↓

小さい頃の彼は不幸で家庭に恵まれず、他の人から虐げられたり、いじめに遭っていました。不幸すぎて自殺するために、あの城に登ったのです。しかも、国の安泰を願う一大イベントの日をわざと狙って、自分が不幸ならみんなを巻き添えにしよう、の精神であの日、あの城に登ったのです。

 

謝憐が扮する悦神武者に見惚れて自殺を忘れたものの、もっとよく見たいと思って前のめりになって、結局は落ちてしまいます。謝憐によって受け止められますが、結果的には五十周以上回って国の五十年の安泰を願うはずの行事が、わずか三周で中断し、結果的に仙楽国もそれから三年しか持ちませんでした。

 

つまり彼が悪意を持って、あの日、あの場所にいたことに間違いはなく、プロセスは少し違っても、結果的には国の安泰を願うイベントを台無しにした、と言っても過言ではないのです。

 

そして、それ故に、謝憐を巻き込んでしまった罪悪感もあると思います。国が滅んだのが、儀式が中断したせいではなかったとしても、民はきっと’’謝憐のせい’’だと思うのです。花城は自分のせいで、大事な殿下が皆から後ろ指をさされたと思うに違いありません。

 

それらの理由で、花城は自分のことを心から良い人だとは思えないと思うのです。そして、心から、自分なんかが殿下には相応しくないと思うこともあったように思うのです。

 

 

小さい頃から家族から虐待され、他の友達からも絶えず虐められていたにも関わらず、花城は誰にも弱さを見せない一面がありました。その経歴は、彼にとって他の人に対する恨みを募らせることになり、八百年後の花城からも世の中に対して憤りを持つような面を垣間見る事ができます。

 

謝憐に「私のために生きなさい」と言われる前に、「世界を滅ぼして自分も死にたい」みたいなことを口にしていました。しかしその思いも、謝憐によって全て救われるのです。謝憐は彼を果てしない漆黒の中から連れ出した、唯一の灯だったのです。

 

どうして花城が謝憐のことを好きになったのか、こちらの記事の後半でも書いています。

それと、前回の剣蘭と風信の記事、後から少し追記しました。