だいぶ前に、細かい考察と伏線①②を書いてから、そのままいろんな記事を挟んでいるうちに時間が経ってしまいました。もちろん③以降もあります!もう日々、書きたいことが渋滞してます...。ネタバレを含むのでご注意下さい。

 

①以前、謝憐の花嫁姿の、ちゃんとお化粧した後の顔は、花城が一番先に見ている、と書きました。でも、花城の本当の顔もまた、おそらく謝憐が一番最初に見ているのです!

 

賭坊では花城はずっと紅幕の中にいて、指示を受ける女郎も中には入りません。花城が謝憐に正しいやり方を教えると言って、謝憐が前に行った時に紅幕が僅かに開いて、謝憐はそこで初めて花城の本当の顔を見ています。その場にいた人の中では間違いなく最初に見ているのです照れ

 

八百年間、誰も花城の本当の顔を見ていないか?と言われると、それは分かりませんが、元々コンプレックスがあったわけだし、変幻自在なのにわざわざ見せる必要があるとは思えないのです。

 

仮に見せたとしても、鬼なので、周りには今回のように数ある顔のうちの一つだろう、と思われていると思います。謝憐はただ一人、本当の顔だということを知って見ているのです!作者の深い心遣いを感じます。。照れ

 

追記:新版が2023年5月に発売され、新版の新しく追加された番外編では、三十三人の神官に戦いを挑んだ時と三十三人の神官の神廟を燃やした時は、本来の姿であったと記載がありました。

②半月関から帰ってきてから、花城は「まだ出会って数日しか経ってないのにそんなに話して大丈夫?」と尋ねる場面があり、謝憐は「何も問題もないよ。何十年一緒にいる人でもある日突然離れることもある。言いたい時に言う。縁に任せて気の赴くままでいいさ。」と言っています。(アニメではこの部分はなかったと思います。原作小説の部分です。)

 

二人ともこの数百年間、こんなふうに話ができる人がいなかったと思うのです。謝憐は八百年間一人で孤独に放浪しているし、花城もまた、同じ絶の鬼でなければ自分と話す資格もない、と言っていました。花城が黒水沈舟とこんなたわいも無い話をするとは思えません。

 

二人とも胸の内を語る相手がおらず、孤独に八百年間過ごしてきたのです。そう思うと、このシーンの二人の会話、二人が出会ってからの会話の一つ一つ、とっても心に沁みます照れ

 

③八百年前、謝憐は牛車を使って子供の花城を皇極觀に連れていきました。八百年後、二人で一つの牛板車に乗りながら、菩薺觀に向かっています。この時、どうしてここにいるか聞かれた花城は、「家族と喧嘩して追い出された。たくさん歩いたけど行くあてがなくて。」と八百年前、子供の頃に聞かれた時と全く同じ回答をしています。

 

何か運命的なものを感じますね。牛車での出会い、同じ回答、立派な太子悦神図、もしかしたら花城の中でほんの少しでも思い出してくれるかな?という期待もあったのかなおやすみ

④謝憐が花城に仙楽太子についてどう思うか?を尋ねたとき、花城は「きっと君吾に嫌われている。二度も追放されたから」と答えましたが、この時謝憐は、物事の表面しか見ていなくてそう答えたと思っていました。

 

しかし、最後に全ての真相が明らかになった時、君吾は本当は謝憐に激しく嫉妬していることが理解できます。花城も、君吾に対峙する時に「嫉妬心が爆発したただのお爺さん」みたいな言い方をしています。

 

つまり、最初花城が言ったことはほぼその通りなのです!なんなら結構真理を突いていました。

 

⑤後に明らかになりますが、花城は鬼であり、神でもあるのです!だから、神官でないと縮地千里を使えないはずの仙京で、縮地千里を使って謝憐を助けることができたのです。彼は自らの意思で神官になることを拒み、鬼として生きていくことを決めます。理由は色々あります。

 

まず一つ目は、花城にとって一番の望みは謝憐のそばにいることなので、当時謝憐は追放されていて天界にいなかったので、神官になることに価値を見出せなかったのです。

 

二つ目は、神官になると情報収集するにも組織ごとに分かれていたり、管轄が分かれていたり、信徒の願いに応える日常業務もしないといけないので、鬼の方が自由に動けて、謝憐を探しやすいのです。

 

三つ目は、花城はいろんな神官を見てきて、神官は大したことないと思っています。神官なのに人間の命を何とも思っていない人も多かったり、謝憐が追放された時に神官から虐められたりしているので、神官がそもそも嫌いなのです。

 

そして四つ目は、謝憐の唯一の信徒である自分も神官になってしまったら、謝憐に信徒がいなくなってしまいます。信徒がいないと神官は消えてしまうので、謝憐が消えてしまうことを危惧したのかもしれません。

 

五つ目は、神官になってしまうと君吾の管轄下になり、同じ神官である三十三人の神官達に復讐する立場がなくなってしまいます。花城は絶等級の鬼になってからすぐに三十三人の神官に戦いを挑んで打ち負かしています。それだけ彼の中では、謝憐を虐めた彼らに復讐することは大事なことだったとわかります。

 

六つ目は、謝憐をよりよく守るために、強くなるだけでなく、他の人から忌憚される存在になる必要もあります。自分自身が君吾とも対峙できるぐらいの、絶対的な権力を持つことで、謝憐をいつどんな時でも守れるのです。結果的に彼の選択は正しかったと言えます。

 

神になることを拒んだ人がいるという話を聞いた慕情は、自分から神官になることを蹴る人なんているの?!と信じられない様子でしたが、花城にとって大事なのは「謝憐」だけなんです!他はどんなことであろうと全く眼中にありませんおやすみ

⑥風信は以前、風師は謝憐よりも年下だが天庭ではよっぽどうまくやっている、ということを口にしています。謝憐の師匠である仙楽国の国師も、仙楽国が滅んでから銅爐山の秘密を知り、赤ん坊の師青玄を見て助言したと言っていました。

 

そのため、謝憐よりも花城よりも風師が年下で、風師と同じ生年月日の賀玄もまた、花城より年下だということがわかります。銅爐山は百年に一度開くので、少なくとも賀玄は花城よりも百歳以上、年下になります。つまり、花城が銅爐山の中で彫った立派な謝憐の彫刻を、賀玄は見ているのです!

 

⑦謝憐はずっと一人で問題に立ち向かう必要がありました。かつて風信や慕情も意見を出したりはしますが、どちらかというと謝憐の決断を待ってそれに従うことの方が多いのです。しかし、花城は違います。いつでもどんな状況でも、必ず謝憐の選択を尊重し、尊重するだけでなく、その結果まで一緒に責任をとるのです。

 

結果に対して責任を一緒にとるということは、愛だけでなく、覚悟も、実力も、能力もどれも不可欠なのです。花城から「兄さんの好きにしたらいいよ」と言ってもらった謝憐は、より一層自分自身の選択に自信を持て、より一層勇気を持てるのです。

 

誰かを愛するとは、本当はそうあるべきなんだと考えさせられます。より自分らしくいられて、より一歩踏み出す勇気を持てる。それが正しい愛なんだろうなぁと思わずにはいられません。花城の愛、深い...照れ

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一度では書ききれないのですが、まだまだありますよ!天官賜福には何度も何度も読み返したくなる細かい伏線がたくさんあります。また伏線記事書くのでお楽しみにおやすみラブラブ