いやなことが一個もない人生なんて
存在しない。
嫌な人が一人もいない会社や組織も存在しない。
普通に考えてみてそうだよね。
至極当たり前のことだ。
いいこと、心地よいこと
満足や快楽の逆は
嫌な気持ち、不快、
不満、恐怖不安、心配
いいことの裏側には常に半分ずつ
(自分にとっての)悪いことも隠れている
自分という眼鏡から通してみたら
絶対に不快はある。
なぜなら自分という存在は
偏っているものだから。
中立でもなく
自分が自分であり続ける限り
自分が自分という意識である限り
好き嫌いは存在する。
心地よい、悪い、もある。
それは人それぞれ許容範囲や好みが違う。
だからどんな人にも好きな人嫌いな人がいてもいい。
私はそれを今まで見失っていた。
だれもが聖人君主のように
正しい存在、美しい存在でなくてはならないってね。
そんな完璧な人生は存在しない。
自分が見たい世界を見ているだけなのだ。
見たくない人生、見たくない世界は
いやだ、というふうに拒絶する。
- なんであの人はああなんだろう
- なぜこう言うんだろう
- なぜこれをしてくれないんだろう
- なぜこんなにひどいことをするんだろう
いろいろと思うけれども
それは自分という存在が基準になっているからこそ。
自分が正しいと思っているからこそ。
完璧な世界などありえない。
いいかげんそれに気づくころだと感じた。
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モスの月見フォカッチャ食べました!
ようやく…!ついに…!
半熟卵が入っていましたよ~
家に持って帰りましたが
それでもホカホカでした。
これ一個でおなかいっぱいになりますね。
ぱりぱりのソーセージがおいしかった。
一番長かった通話は〇時間?
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