~11回からの続きです。

 

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ALSとの確定診断を受けた日は平日だったので、帰り道の途中で保健所に寄り、難病申請の手続きをしました。対応してくれた保健師さんは若い女性の方で、何も分からない我々に親身になって対応をし、すぐに書類を作成してくれました。

難病申請をして患者会や介護事業所などの案内書類をもらったことで、私は改めて「自分がALSなんだ、、、、」ということ実感をしました。 

 

一方で、私はこの診断が出る数ヶ月前からセカンドオピニオン先の検討を始めていました。いくつかの候補の中から、最終的に候補を2つに絞り、電話で診察の可否や費用、診察の具体的な手順などについて問い合わせをしました。結果として大学病院ではなく、都内にある神経内科専門の病院を選び、一ヶ月先の7月初旬に予約を取ることができました。

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セカンドオピニオンの診察予定までは約一ヶ月ほど間があったので、家族全員で一泊旅行に出かけました。旅行先は子供達が小さい頃からよく行っている保養所で、距離も近く、温泉もあるのでゆっくりと過ごしました。

 

私は病気になってからこの時までは、子供達には不要な心配をかけぬよう病気の内容は告げずにいました。でも、確定診断がおり、呼吸器をつけなければ残された時間が短いことが明確になった以上、今やるべきこと、したいことに優先順位をつけて、時間を有効に使わないといけません。

 

考えた結果、すぐにやるべきなのは「家計の備えと見通しの立案」、したいのは「家族で過ごす時間をできるだけもつ」ことでした。

 

「家計の備えと見通しの立案」については、学費を含む支出見通しに対し、各種加入保険やローン減免制度、公的支援制度等を調べると共に、できるだけ長く働くことが出来る様に会社の支援制度を確認し、ある程度の見通しが立つことを確認しました。

 

一方で「家族で過ごす時間をできるだけもつ」には、『子供達が後に悔いを持たずにこの一瞬一瞬を大切に過ごせるように、彼らにも病気の内容を告げるべきだ』と思い、この旅行の中で伝えることにしました。ただ、末娘についてはまだ高校に入ったばかりなのと、大きな試合の直前だったのでもう少し先にすることにしました。

 

 

長男と次男に病気を告げるにあたり、私は手紙を用意しました。何故なら口頭で話をすると落涙してしまうかも、、と思ったからです。子供の前で落涙するのは恥ずかしいですし、何よりも、落涙などして子供達を不安な気持ちにさせたくはなかったからでした。

 

娘が部屋を出ているとき、長男と次男を呼び、妻と並んで二人に手紙を渡しました。手紙には、「私の病名が確定したこと、この病気でこれから私に起きると思われること、そしてその病気にどのように向き合おうとしているかということ」などを書きました。

 

 

二人は、私と妻が並んで手紙を渡すことに何かを感じ取ったかのように、表情を硬くしました。

 

彼らが手紙を読んでいた時、どのようなことを考えていたのかは分りませんが、手紙を読み終えると、二人共、感情を押し殺したような表情で目を上げました。

私は、このような辛い手紙を息子達に読ませなければならないことに、申し訳なさを感じながら、

 

「ごめんな。そういうことなんだ、、、。でもパパもママも頑張るから、、、」

 

、と言うのが精一杯でした。

 

すると、長男が少しだけ表情を崩し、微笑みながら、

 

「なるほど、、。そういうことだったんだね、、、。わかったよ。」

 

と言い、次男と目を合わせながら立ち上がり、部屋を出ていきました。

 

 

しばらくして子供達三人が部屋に戻ってきたので、男女に分かれ風呂に入りに行きました。その頃の私は、杖を突かないと足取りが覚束なくなっていたのですが、息子達が着替えを持ったり、先導をしてくれました。

風呂場に入り着替えていると、長男が服を脱ぎながら言いにくそうに口を開きました。

 

『あのさ、、、俺達、これからどういう風にパパと接していけばいいのかな、、、』

 

「ん?、それはもちろん今まで通りでいいよ! 病気でも変に気を使うことは無いさ。まあ、ママを見ればわかるんじゃない!?」

と私が答えると、

 

『あ~、、、わかった! そうだよね! そういう感じでいいんだね!』

 

と、ひどく納得した様子で次男と二人で頷いていました。

 

その後、浴場の洗い場で二人の息子に挟まれながら並んで座り、身体を洗いながら話をしました。何を話したのかは詳しくは覚えていないのですが、私のメモには、

 

「、、、三人で風呂に入り、二人に挟まれながら話をした。自分の人生で最高の日だった、、、」

 

と書いてありました。
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7月になり、セカンドオピニオン先の病院を訪れ、初回診察を受けました。結果としては、今までの病院と同様に入院して追加検査をすることになり、結果次第でそのまま治療を始めることになりました。

 

初診から一週間後に入院し、毎日のように様々な検査を二週間ほど行った後に結果の告知がありました。内容は、『全身の筋肉で萎縮がみられ、嚥下機能も一部低下がある』、『典型例とは異なるものの、他疾患の可能性はほぼ無く、ALSである』とのことで、これが最終告知となりました。その後はALSの治療として、ラジカット点滴を二週間(1クール分)受けて退院をし、以降の治療は自宅近隣の病院に引き継ぐことになりました。

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ひと月ぶりに自宅に戻り、二階の廊下の棚に飾ってある家族との写真を見たとき、見慣れていたはずの写真が急に現実感のない虚構物のように感じられ、今まで生きてきた自分の人生が夢だったのでは、、、と思うような不思議な感覚に見舞われました。そしてしばらくの間、周りの景色も今までとはまるで違っもののように見えました。

 

ただ自宅には妻や子供達が変わらずに居て、家族皆でたわいのない会話で笑ったり、部活の応援や食事に出掛けたりといった今までと変わらない日々と共に、介護ベッドや階段昇降機が入り、会社には杖を突きながらの出勤、訪問看護や訪問リハビリが始まるなど、生活環境も変わっていく中で「何事も不変なものなんてない。病気も含めて、これが今の自分なんだ、、、」と思うようになり、それと共にこれらの違和感も徐々に薄れ、現実感を取り戻すことが出来たように思います

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こうして異変に気づいてから1年3ヶ月を経て、ようやく病名が確定し本格的に病気に向き合いながら闘う準備に入ることができました。時間はかかりましたが、自分の想いを整理して家族と向き合う時間が取れたことで、お互いを思いやる心の絆は強くなったように感じます。

 

病気との闘いはこれからも続きますが、挫けずに、、挫けたとしても前を向きながら、「今この瞬間」を大切にして過ごしていきたいと思います。

 

 

20180729 

「最終告知を受けた後、見上げた夏空はどこまでも真っ青でした」

 

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~このブログをお読みいただいている皆様へ~

当初の予定をはるかに超えた長さになりましたが、私の『ALS発症経緯』は、今回でひとまず終了になります。

ALS患者で、かつ全くのSNS初心者の私がブログを始めたのは、『ALSという比較的稀な病気になってしまったことで、自分自身が経験したことや、悩んだこと、考えたことなどが、同じような病気で悩んでいの方々の参考になるかな、、』と思ったのがきっかけです。今まで書いてきた『発症経緯』は、ALSには様々な発症形態があり、もしかしたら自分も、、と思っている方々や、確定診断がなかなかつかず不安や焦燥感で悩んでいる方々に少しでも役にたってくれたら、、、と思い、自分の心の中を思い出しながら書いてみました。

初めて書くブログだったので、拙い文章であったかもしれませんが何卒ご容赦いただければと思います。

 

次回以降ついては、『発症経緯』以降の『身体状態の変化や関連する出来事』を書いてみようかなと思っていますが、それに合わせて、だいぶ趣はかわりますが元々書こうと思っていた『不自由な身体でも快適に過ごすために使用している(使用していた)各種の介助機器についての情報発信』等もしていきたいと思いますので、これらの内容にご興味のある方は、またお付き合い下さい。

 

以上、お読みいただきありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたします。