利己と利他が相反することのような感覚になってしまう。
けれども、
目の前に繰り広げられる刺激に対して、どのように反応するか?という体験をしているだけなのだ。
瞳の外側に、意識を放射して、
創造性を、瞬間毎にビッグバンのように光らせながら、
内側と外側という二元性のフィルターで体験する仕組み。
でも、もとは一つだから、
利己に反応するのも利他に反応するのも、意識が、受けた刺激に対してポジティブに与える反応をして、自分または他人に利になる貢献をする体験をした、という点で同じなのだ。
同じ体験エッセンスで、同じ波動の放射で、
これを地球では、
色々な条件下、状況下の多様なバリエーションを外側に見える他人という外側の人に繰り広げて、ちょっとした~慣れた範囲を越える体験の幅を作り出す。
だから、人は鏡なのだ。
自分を幸せにすれば回りの人たちも幸せになると言われるし、
周り人を幸せにすると自分も幸せになるとも昔からよく言われる。
それは分離しているのが幻想で、どちらも同じだからだ。
それでは、利他をして自分が幸せにならないケース、それとその逆は?
そこに「分離している」の関係の信念体系が
何かあるということです。
だそうです。
