今の社会は「所有」、「所有権」という資本主義社会の法律から来る「もの達」との関わりの仕方があるけれど、
そして、私たちは基本的には「所有」によってものを使うことができる仕組みの世の中にいて、もの達との交流を分離している。
そして、所有されているけれどもほったらかしで、持ち主にその存在は無意識な背景と化していることがある。
その極端な形はゴミ屋敷だろうと思います。
その状況を見ると、ものが「ふしあわせ」な波動を放っているように見えました。
私たちは人間にまで意識の進化をするまでに、鉱物にも植物にも、原始的な動物にも、人生体験をしてきています。
昔の人たちは、すべてのものに意識があることを知っていました。
お箸、お茶碗、
おをつけるのも、ものの意識を敬っているのだと、私は一人、子供のころから感じていました。
どんなにボロボロでどんなに汚れていても、いつも使われているものには生き生きした波動があります。
ものの波動の綺麗さは、私たちの目で見る綺麗さとは、違う尺度にあるのです。
使われていなくて、「ふしあわせ」な波動を出しているもの達を見ると、
ものとの関係性が生き生きしていないなら、手放してコントロールをやめて、手放してあげた方がいいのだなと感じました。
それは、ネグレクトの子供と同じこと。
そして、もしかして、その人のものとの関係性のコントロールの「あり方」は、その人の、人間関係の「あり方」にも、同じ思考パターンがあって、同じことが起きているのではないかと思えました。

あなたの意識の拡大は、無限に広がります。
今までは当たり前だったところが、もう違和感を感じたら、
それを祝福して、その違和感から発想するアイデアを何かアクションするだけ。
そうすると、そのアイデアは、あなたとの関係性で生き生きとする。
そして豊かさが実るのを、あなたが観察、体験するのです。