日本FP協会から来る毎月の会報の今月の号の中で、キリスト教式葬儀のマナーの解説がありました。
その一部を抜粋しますと、
「キリスト教では、故人への呼びかけや、故人の霊を慰めて冥福を祈ることはしません。これは、亡くなることで天地の創造主である神の直接支配になるという考えから、葬儀では神の尊厳と残された人への慰めと祝福を語るためです。」
私はこの一文だけでも単純に感覚の違いに驚きました。同時に、
”創造主”という言葉が、西洋の人々には深く入り込んでいることを・・・。
純粋な日本文化で育ち、シータヒーリングを習得してその中で”創造主”という言葉をテキストやセミナーから習ってそのまま使っている事との違いを・・・。
キリスト教での”創造主”の定義は良く知りませんが、
私はシータで使っているときは(シータでしか使わないのですが)、この大宇宙の始まり、源という意味で捉えています。
”創造主”というと宗教っぽいとか、キリスト教みたいという印象を持たれる方もいらっしゃるようですが、アメリカから来たシータヒーリングですから、
文化的にも多少なりとも影響なり関わりはありかもしれません。
”創造主”という言葉に、どんな感情を持つか、
人それぞれ、過去生や遺伝的なものや今の人生で知識として得たものが混ざりあり、
普段この言葉に縁が無い人でも実は深いところで色々なエネルギーを思考として、感情として持っていたりします。
そして、このエネルギーが、表面的には恋愛や夫婦関係、お金へのブロックとして、この日本での「宗教とは無縁の大多数の人」にとっても、その土台となっていることがしばしばあります。
もし、”創造主”と言う言葉に、
何かわけも無く心や感情が反応するとか、
嫌悪感を感じるとか、
ひきつけられるとか、
今、気づいたら、この12月、エネルギーを大掃除してみるのも良いのではないでしょうか。
(何も感じなくても持っていることが多いですが、今タイミングではないのかもしれません)