こんにちは。

発達障害のlifeです。


前回は職場での理解についてでしたが、今回は家族からの理解について書こうと思います。


皆さんは身近な存在である家族からの理解はどうだったでしょうか。

私は結論から言うと、理解して貰えない、一択です笑

まずは、私の両親について、私が理解している範囲、お話できる範囲の話をさせて頂こうと思います。


結論として上記のような形になっていますが、何故理解して貰えないのかと言うと、私の両親は『自分が経験したこと、目で見えるものしか信じない。違うと思ったらとことん否定する』人達だからです。

そもそも両親は人生の今までを小さな過疎地で暮らし、情報を入手できる物はあるものの、人と関わる世界がその過疎地だけだったというのがあります。

だから勿論多くの人が生きている都会では、どんな人がいるのかとか、世間ではどんな事が起こっているのかなどを実際に見たり聞いたり関わることがなかっただけに考えが偏り過ぎていたんです。

世間がどうなっているのか知らないまま、時が止まったような過疎地で生き、そこで生きている人生が世界の全てと思っている様な両親でした。

要は無知の知に気付けなかったとも言えるんじゃないかなと思います。

そのため発達障害という言葉自体珍しく、イメージとしても人の補助がないと生活できない障害としか知識もありませんでした。(時代によっては認知の差もあるとは思います。)

そもそも周りにそのような人が居なかったのも、知る機会を失っていた要素の1つなのかもしれませんが……。

なので、親からは「変なやつだなー」とか「お前は変わっている」など、何でも器用にこなし社交性がある兄と比べられるばかりでした。

中でも「何でお前はできないんだ」、「お兄ちゃんもやってるんだからやりなさい」と、否定されたりやりたくない事を一緒にやらされるのは苦痛でしかありませんでした。

勿論子供だから苦痛なことをずっと続けてたら泣きもしますよね。でも、「また泣いて。泣いたって駄目なんだからね」と逃げ場すら奪われるのは絶望しかありませんでした。

(しかもやってきたことの殆どは、大人になってから意味の無いものとなっています笑)

そこについても、私の奪われてきたものや、掛けてきたお金がほぼ無駄の一言で終わるのがなんとも悲しい事だなと振り返るのですが。


簡単にかいつまみながら発達障害についての親の認知についてお話しましたが、発達障害と言っても症状や重度さは違います。そこに気付く、または少しの知識があり何らかの対処をしていれば、私の人生も違っていたと思います。

今の自分の現状に気付けたのは、目を逸らしたくない何かに突き動かされて、自力で症状や原因を調べた結果、診察するという選択を取った自分自身の行動のおかげです。

もし自暴自棄になって、両親と同じように私の出来が悪いからだとだけ思い込み続けていたら、こうしてblogを書いている事も、自分自身を理解することも無くただ闇雲に否定し続けていたと思います。

もちろんその先には選べたはずの未来もなかったでしょう。

一番味方でいて欲しい身近な人に理解して貰えない辛さを抱えている人もいるかと思います。

血は繋がっていても所詮自分以外はみんな他人に位置づけられてしまいます。

なので、自分自身だけは世界で一人だけの理解者でいてあげて欲しいと思います。


親の理解については以上になりますが、親の否定と言うワードから〖毒親〗という言葉は聞いた事はありますでしょうか?

毒親と言っても様々なようですが、これまたうちはうちでお話出来ることもあるので、そこについてもまたいつかの機会にさせて頂こうと思います。


ここまでお読み頂き、有難う御座いました。