年明けに、姉が起業をしたきっかけをブログに書いていました
綺麗事ではなく、泥臭い本音の部分
私は妹なので、この泥臭い部分を間近でみていた。
姉のブログを読みながら、私も前の旦那さんと株式会社を作って起業した時の事を思い出していました。
お互い、裕福な家庭の生まれでは無く、ごくごく普通。
共通点は、2人とも父親がのらりくらり適当で、借金をしたり、女を作ったり。なので、お母さんが苦労しているのをそれぞれ見て育ち、いざと言う時にお互いのお父さんはアテにならないと分かっていた。
私の家族の場合は、父はインドネシアで好き勝手をして、とっくに私達日本の家族への送金は止まっていた。母は、父の母であるお姑さん(私達のおばあちゃん)と、3人の子供達(私達)を任され日本に置き去り。きっと、あちらに家族がいるだろうなというのは、薄々感じていた。
姉は当時まだアメリカに住んでいた。姉は保育士さん、メキシコ人の旦那さんはアパートのメンテナンスやフリーのペンキ屋さんの仕事をしていて、まぁ、日々暮らす事は出来るだろうけど、家族に会いに日本やメキシコに行ったりは難しい。ましてや、国際結婚で海外生活。なにかあった時のヘソクリなんて、貯められないだろうな〜と思っていました。
弟は…素朴で優しいから、周りの人に愛されはするけれど、器用にたち回ってお金持ちになるなんてできないタイプ
要は、私達夫婦は、お互いの家族の皆が心配だったのです。
そんな時、ブラジルの格好いい人に出会いました。
日本からブラジルに移住した一世。19歳で田舎の実家の食いぶちを減らす為に、一文無しで集団移住。一緒に移住した人の殆どは、過酷なブラジル生活に挫折をして日本へ帰り、当時同期で残っているのは3人くらいですよと笑っていた。
数年は奴隷のようにパトロン(プランテーションの持ち主)の元で働き、その後手に入れたのは整地もされていないただのジャングル。
水牛を使って切り倒した木を運び、ようやく整地をして始めたのは胡椒畑。試行錯誤を繰り返し、ようやく初めての収穫ができる目前に、一晩で全ての胡椒の実が盗まれた
そんな苦労もガハハと笑いながら私達に話してくれて、本気でやる気なら、一度ブラジルに来たら良いですよ。ジャングルの奥で、木を切り出している人達にも紹介しますよ。と言ってくれたのです
その格好良い人は、たまに日本に帰って来ては、故郷にいる親兄弟、親戚達に充分過ぎるほどのお金を渡していた。
誰かが癌で入院した。家のリフォームが必要。子供達が私立の学校に通いたがっている。
そんな時にはいつも、大丈夫とだけ言って、ドカンとお金を工面していました。
私達には、「人生の80%位の悩みは、だいたいお金で解決できるんですよ」と笑って教えてくれました。
痺れましたね〜
その人を見て、私達夫婦は、自分の家族に何かあった時に、大丈夫だよと言ってあげられる、格好良い大人になりたいと強く思ったのです。
だから、2人でブラジルに通いました。そしてネットワークを作り、28歳の時に一念発起をして商社を立ち上げたのです
※思ったより長くなってしまったので、続きます