1995年1月17日
関西を襲った大地震
後に「阪神大震災」と名前がつきました。
当時8歳の私の記憶は昨年亡くなった祖父と健在である祖母が守ってくれていたこと。
四国から当時習っていた私のピアノの発表会のために来てくれていて、17日に四国に帰る予定だったそうです。
そして、テレビをつけると、被災した神戸の街並みが映っていたそうです。
(私はこのことを母から聞きました)
地震で建物は倒壊し、火事になっていた様子はその後毎年この時期にしているので、覚えています。
そして、今も覚えているのは
季節外れの転校生
それも、神戸から来た子でした、
県外避難してきた子供だったと思います。
その子は、たぶん、一緒に卒業したのではないでしょうか。覚えてません。
携帯電話も普及していない時代、公衆電話がつながりにくくなり、連絡も取れない状態でした。
被災地にはボランティアが入り(この阪神大震災がきっかけでボランティアという言葉が浸透していきました。)仮設住宅もでき、その後被災者用のマンションができ、少しずつ神戸の街が綺麗になっていきました。
来年は30年になります。
どうか、この日だけでもいいので、阪神大震災のことを思い出してください。覚えてください。
芸予地震、東日本大震災、中越沖地震、そして、能登の地震だけではなくて、
何もない
なんの防災の整備が整ってなかった時代に、這い上がった阪神大震災のことを覚えてください。