民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

海外患者医療搬送・全国民間救急搬送の仕事紹介と日記、
世界の国々に訪れた街や食べ物、全国の美味い物を御紹介します。

 

春になっても、薄暗い中を出発するのは、

この仕事の日常、移動中に神々しい陽の光を浴びる。

 

 

まずは2時間程かけて三陸の病院へ、

だいぶ春めいてきたが、朝はまだ寒い。

 

 

こんな放射冷却の日は、

日中、一気に気温が上昇する。

 

 

 

患者さんをピックアップすれば、再び北上、

岩手県内を、秋田方面へとひた走る。

 

 

先日、新潟県の広さをお話ししたが、

岩手県もとにかく広い。

 

 

今回のように岩手県を斜めに移動すれば、

2時間弱、半分は一般道である。

 

 

無事に搬送が終われば、

帰りしな、雫石川をせき止めて作った、

「御所湖」に立ち寄り、清涼な空気を戴き盛岡へ。

 

 

遅めの昼食は、知る人ぞ知る銘店

「支那そば つかさ」で、

シンプルかつ美味しい一杯を戴き、

大満足で帰社となった。

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今や患者さんの長距離の移動、搬送は、

新幹線が主流になっているかも知れない。

 

 

しかし、この日は新幹線の利用ではなく、

車両で石川県・金沢市までの搬送。

時流はあれど患者さんの状況によって、

搬送の方法も変わって来る。

 

 

約600キロ、8時間近い移動となった、

風もなく晴天恵まれたのは幸い。

 

 

ひたすら、北陸を目指すが、

新潟県が長く広いのにはさすがに閉口。

桜ダよりが聞こえているのに、

まだ雪が残っていた。

 

 

一昔前は、こうして陸路で全国津々浦々へと、

搬送していた事を思い出す。

 

 

富山県から石川へ、

左手に見えるアルプスはしっかりと雪を湛えていた。

 

 

陽の高いうちに、

何とか金沢市内の病院へと無事に到着。

 

 

帰路は石川のご当地ラーメン、

「8番らーめん」で大休憩。

 

 

野菜たっぷり系をガッツリ戴き、

再び、東北へとむかった。

 

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言わずと知れた、東北の夏祭り青森の「ねぶた」、

まだ季節には早いが、青森駅では、

ねぶたの山車灯籠がお出迎え。

 

 

まだ肌寒いのに、春を通り越して

ここだけ見れば酷暑の季節。

 

 

この日は、またまた、

「民間救急北海道」さんからの依頼で、

青森市内の搬送。

 

 

私達の理念から言えば、

一宿一飯の恩義は忘れず、

戴いた仕事は必ず仕事で恩返しをする。

となっているが、

しっかり「報恩」出来ているか心配である。

 

 

市内での搬送を終えれば、

再び青森駅へスタッフさんを、お送りして、

「またお越し下さい・・・」のねぶたに見送られながら、

夏祭り会場のような青森駅を後にした。

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患者さんの搬送という仕事をしていれば、

ブログは、どうしても搬送の事に終始してしまうが、

実際には、膨大な事務の他、

東北各県、関東への、搬送以外の出張も多い。

 

 

移動は、ぼぼ新幹線、

この日は年度末を控えての上京。

 

 

いつもの新幹線ホームに

見慣れない、車体が滑り込んできた、

ALFA-X(アルファエックス)、E956形、

次世代新幹線であった。

 

 

2019年から東北新幹線で試験走行を続ける、この車両は、

最高速度360㌔、もし運行が開始されれば、

仙台~東京は1時間になるはずである。

 

 

もちろん私が搭乗したのは、

現行の「はやぶさ」、上野駅で途中下車、

1時間10分の旅であった。

 

 

「うららかな」東京下町は

春日和であった。

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中国、江蘇省の町が今回の出発点、

地図上では、上海の上付近。

 

 

中国支店のハンドリングで、

チャーター機での搬送、

午前7時に病院を出発し救急車で上海浦東空港へ。

 

 

日本時間11時に空に上がれば、

2時間半で成田国際空港である。

 

 

機内では2人の医師が、

患者さんが出来るだけ良い状態で、

日本に到着出来るよう懸命の処置を行う。

 

 

曇り空の、成田国際空港、

チャーター機エリア。

 

 

「Pickup and Away」が出来るようmedicalチームが待機、

到着して一通りの手続きを終えれば、

直ちに出発、故郷へと向かう。

 

 

不慮の事故、突然の病、

海外で入院する事は大変なことであり、

誰もが途方に暮れてしまう。

 

 

私達のようなサービスは、

利用しない事に越した事はないが、

万が一、本当に万が一、皆さんが途方にくれた時、

縁があって、私たちと繋がった時、

私達はそこが「地の果て」でもお迎えに上がる。

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3.11、東日本大震災、

福島県から青森県までの三陸沿岸は、

巨大津波により甚大な被害を受けた。

 

 

あれから15年、

私達はこの被災地をなぞる様に、

福島県、相馬から、

三陸までの患者さん搬送を行った。

 

 

朝から放射冷却で冷え込んでいたが、

その分陽が昇れば暖かくなる、小春日和。

 

 

あの日、

まるで何事もなかったかのような道中、

しかしながら、太平洋沿岸部には、

街はなく、延々と雑草地が続く。

 

福島県の病院を出発し、

北上、石巻市の病院へと向かう。

道中、蔵王連峰が西側に見えて来る。

 

 

この地域も被害が甚大であり、

唯一、高台にあったこの病院だけが、

災害の拠点となっていた。

 

 

15年前何百回も通った病院は、

今も、変わらず地域の拠点として健在である。

 

 

患者さんの搬送を無事に終え、

三陸道上り線、矢本パーキングに併設する、

道の駅「東松島」で休憩。

 

 

流石「ブルーインパルス」の地元だけあって、

機体も展示されている。

 

 

小高いパーキングからは、

復興を目指し前に進む石巻の街並みが、

眼下に広がっていた。

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関西から東北まで御移動の患者さんを、

お迎えするためのため、前日、空路で大阪に向かう。

 

 

仙台はあいにくの雨模様であったが、

空に上がれば何処までも「紺碧」が続いている。

 

 

大阪に到着したのは夕方、

真っ直ぐ大阪城近くの病院へと向かい、

ここで事前の打ち合わせ。

 

 

帰り路、ライトアップされた錦城が輝いていた。

 

 

翌朝、サクッとホテルで朝食をとれば、

病院へと向かい、地元の介護タクシーさんのアテンドで大阪駅へ。

 

 

ここから新幹線を乗り継いで、

宮城県まで患者さんと「東海道」の旅。

 

 

天候に恵まれたせいか、

道中、「富士山」がはっきりと見える。

 

 

東京で「東北新幹線」に乗り換え、

更に1時間半、「みちのく」へと向かう。

 

 

仙台駅に到着すれば、

ここからは患者さんにとっても、

私達にとっても地元、自然と笑顔になり、

6時間半の帰郷旅は無事に完結した。

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七年ほど前から山登りを始め、

高低、様々な東北の山にお伺いしたが、

3.11を前に、福島・宮城県境の里山である、

「鹿狼山」に足を向けた。

 

 

標高400m程の山頂からは、福島原発、相馬、

宮城県の亘理、名取、遠く石巻までを見渡す事が出来る。

言うまでもなく太平洋沿岸のこの地域は、

東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け、

多くの人命が失われた場所である。

 

 

100㌔以上に及ぶこの一帯には、

多くの慰霊碑が建立されており、

命日である今日も、

多くの御遺族関係者が手を合わせている事であろう。

 

 

15年という月日は、

長いようで、あっという間の月日であったが、

確実に時間は経った。

 

 

色彩のない街の中で、

被災者でありながら手を伸ばし助けを求める住民を、

抱きかかえ搬送すると言う事に、

葛藤がなかったわけではないが、

無我夢中で仕事に没頭していた事を、

昨日のように思い出す。

 

 

当時、「大丈夫ですか」と心配され御連絡を戴いた、

ほとんどの方が他界され、

気遣って下さった同業者もほぼ廃業された。

 

 

私達は、大震災の真っ只中から存命した。

それは「天に召された多くの犠牲者の分まで生きろ」

という天命でもある。

命ある限り精いっぱい生きるのが、

犠牲者に対する最大の供養であろう。

 

 

時を経ても、被災地「鹿狼山」の梅は、

奇麗に咲いていた、まるで何事もなかったかのように。

合掌

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三寒四温、寒暖差が激しいみちのくの春。

15年前の震災直後と同じような「みぞれ」が降りしきる中、

宮城県・気仙沼市の北、岩手県・大船渡まで向かった。

 

 

しばらく「みぞれ」が続き、

やがて雨に変わってきた、

北へと向かう道中の空は鉛色。

 

 

時折、車窓から見える海は穏やかで、

とても街を飲み込んだ海とは思えない。

 

 

震災以降、高台に移転した病院に無事到着。

患者さんは「震災命日」の前に帰郷する事が出来た。

 

 

帰路は大船渡市内の「丸清食堂」さんに立ち寄り、

大休憩。

 

 

美味しい味噌ラーメンと定食で腹ごしらえ、

長い月日で街は変わったが、

三陸の人情と、海の幸は全く変わっていない。

 

 

まもなく、鎮魂の日、

牛歩ではあるが、東北は前に進んでいる。

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空に上がれば1時間15分はあっという間、

晴天の羽田空港に到着。

ここで伊丹便への乗り換え。

 

 

羽田空港到着後、ほとんどがターミナル内の移動となるが、

それでも時折感じる、

東京の暖かい空気が心地よい。

 

 

空港ターミナルの中を通り、

到着から出発ゲートへ移動。

 

 

再びの搭乗で、伊丹空港へと向かう。

 

 

更に1時間ちょっとのフライトで大阪・伊丹空港到着。

気温は15℃前後、

本州、北のはずれとは随分と気温差があり、

あらためて春の気候を感じる。

 

 

何時もお世話になっている「西日本民間救急」さんのお出迎えで、

滑走路から車内へ、姫路まではあと少し、

空港からは陸路で2時間。

 

 

想定通りの時間で、姫路市の病院に到着、

1200㌔の患者さん帰郷旅は、引き継ぎ完了と同時に無事終了、

トンボ返りのため再び大阪伊丹へ。

 

 

早朝に出発し、薄暮での帰路、

トンボ返り搬送ではいつものことである。

空港で「551」のテイクアウトを買い、

機内で食べれば、まさに「空弁」

 

 

眼下に煌く、夜光虫のような「なにわのネオン」を

見ながら、再びみちのくへと戻った。

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