民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

海外患者医療搬送・全国民間救急搬送の仕事紹介と日記、
世界の国々に訪れた街や食べ物、全国の美味い物を御紹介します。

 

神奈川県でありながら、

多摩川の向こうは東京・世田谷、

まさに県境の町への搬送。

 

 

今季も、いずれ豪雪になるのであろうが、

まだ関東への移動は晴天に恵まれている。

 

 

6時間程の移動で、

東京を越えて神奈川の病院に到着。

 

 

患者さんの御移動が終われば、

搬送先病院のすぐ近く、

油そば、・まぜそばの専門店「油や鹿鳴」さんへ。

 

 

太麺で油感満載の一品、

美味しく戴いたが、

更にラー油・酢等々で、

味変トッピングしても味わえる油そばであった。

 

 

師走に入り、弊社「ラーメン部」はフル活動であるが、

とにかく荒天でない、乾燥路面での移動に、

感謝しきりである。

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12月に入り、

ほぼ毎日、県外への患者さんの帰郷搬送。

 

 

山形県は隣接県であるため、

お伺いする機会も多い。

 

 

山形道、笹谷峠付近を抜ければ、

そこは県都、山形市、

宮城県内の移動よりも、
時間的に近い場合もある。

 

 

2時間程で患者さんの搬送は無事に完了。

時計を見れば、ちょうどお昼時、

時々お伺いする、「伝説のすた丼屋」に足を運んだ。

 

 

とんでもないボリュームの、

美味しい豚丼で力をつければ、

再び宮城へ、

午後の仕事も何のそのである。

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今年も残りわずか。

新幹線で上京し霞が関へと向かった。

 

 

この仕事は、私達だけで成し遂げる事は出来ず、

年に何度かお伺いする、帝都の行政庁、

各国の大使館との共助関係は不可欠である。

 

 

滞在中、都内は穏やかな師走であり、

戻り足に高輪の「泉岳寺」に足を運んだ。

 

 

「泉岳寺」は、いつかお伺いしたいと思っていた場所、

時節柄「義士祭」真っ只中であったが、

外国人が目立つと言う事もなく、

粛々と墓参する事が出来た。

 

 

しかし、今から300年以上前の、

元禄史実と物語の場所は、

神社のように「気が変わる」特別な雰囲気を醸し出していた、

 

 

帰路の新幹線では東京の駅弁を戴き、

夜の帳が下りる仙台へと向かった。

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例年の事であるが、

師走に入り、国内外の患者さん帰郷が、

多くなっている。

誰であっても新年はホームタウンで過ごしたい、

患者さんであればなおさらである。

 

 

雪空の合い間に、成田国際空港への搬送、

常磐道を南下して関東へと向かう。

 

 

数日違っていたら、降雪に見舞われていたが、

この日も天候には恵まれた。

香港経由での海外搬送、

キャセイ航空ストレッチャー仕様のフライトである。

 

 

少しばかり風があったが、

清々しい冬めいた空気。

 

 

患者さんは滑走路からPBLで搭乗、

ここで私たちと海外チームは引き継ぎ、

成田空港を後にした。

 

 

帰路は谷田部東パーキングで、

暖かいラーメンでしっかり休憩、

再び宮城へと向かった。

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師走、寒晴れの中、

東北道から磐越道へ。

 

 

冬の南東北、奇麗な冬空に、

澄んだ空気が清々しい。

 

 

3時間程の患者さんの移動、

無事に搬送が終われば、

久しぶりの会津、「喜多方ラーメン」を食すため、

銘店「ばんない」さんへ。

 

 

平日にも関わらず、

結構なお客様、さすがは人気店。

本場、喜多方ラーメンを戴き、

心身共に充実。

 

 

宮城を目指すが、

午後3時半というのに、名峰「磐梯山」が、

西陽に照らされていた。

この前まで酷暑と言っていたのに、

あっという間に陽が短くなる季節となった。

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国が異なっても御家族の心情は同じ、

飛行機が安定飛行に入れば、

御家族はストレッチャーに横たわる、

機内カーテンの向こうの患者さんにかけ寄り、

手を握り締め「家に帰るよ」と繰り返される。

 

 

成田空港からのフライトは4時間、

福州到着は日没を迎え、

上空も漆黒となった。

 

 

福州長楽国際空港には、

いつものように中国空港救急車が待機している。

 

 

一般のお客様が降機すれば、

関係者がなだれ込んで来る。

 

 

様々なチェックが終われば、

今度は患者さんが飛行機から降機、

中国独特の救急車複座体制。

 

 

空港の外で、

再度救急車に乗り換えれば、

御家族が待つ、故郷の病院へ向かう。

 

 

救急車で1時間の程の陸路搬送、

患者さんは御家族と共に、

中国の巨大病院に無事到着、

救急外来へと吸い込まれていった。

 

 

海外患者搬送を四半世紀行っていれば、

自然災害や各国の紛争、真っ只中で、

仕事をしなければならない事もある。

 

 

それでも故郷に帰りたいと願っている人が居るならば、

それを待っている人がいる人が1人でも居るならば

私達は飛び続けなければならない。

 

 

トンボ返りの海外医療搬送、

翌朝、昨日到着したばかりの、

大陸の巨大空港を後にした。

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隣国を巡り、

中国との外交関係が芳しくないが、

私達行う海外医療搬送は日々粛々と実施される。

 

 

ひとりの患者さんに「無事帰国して頂く」

この考えには国境も言語もイデオロギーも影響される事ない。

とは言え、中国支店の力は大きく、

患者さんの移動が決定する前から、

中国側では入念な根回しが行われている。

 

 

快晴の東京。

「東京医療搬送サービス」さんのアテンドで、

都内の病院を出発、成田空港へと向かった。

 

 

滑走路から進入し、PBLで機内に入れば、

ほどなくして、機体は天高く上がって行く。

 

 

列島を縦断する形で、ひたすら南へ、

午後の出発便であるため、

大陸への到着は、陽が暮れる頃となる。

 

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太平洋に面している宮城県は太平洋から、

日本海に面している山形県庄内地方への帰郷搬送。

 

 

受け入れ先は、

日本海側でも鳥海山の麓、

ほぼ秋田県の遊佐町。

 

 

普段なら山形道を利用して庄内に向かうのであるが、

今回は太平洋でも三陸側。

 

 

 

早朝の出発、宮城を横断して47号線で、

鳴子、新庄、最上地方へと走る。

 

 

移動時間も3時間を越える、

鉛色の日本海を眺めつつ、

一般道での移動となった。

 

 

遊佐病院は初めてお伺いする地域病院、

東北の郡部には、このような病院が点在している。

 

 

無事に搬送が終われば、

国道13号を南下、

山形市内の「ケンチャンラーメン」で大休憩。

 

 

山形らしいシンプルなラーメン、

ちぢれ麺に、奥深い味のスープが似合う、

美味しい醤油ラーメンでした。

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23時15分、

「緊急地震速報」と共に目が覚めた、

何度聞いても嫌な音である。

それから間もなく、ゆっくりと揺れが続く、

この瞬間、これ以上の揺れが来るのか?と、

じっとしてる間は言い表せない恐怖の時間である。

 

 

揺れが収まり、青森・岩手の支店に連絡、

人、物、そして心、全てが大丈夫であった。

早朝、参拝した「熊野那智神社」から眺める太平洋は、

何事もなかったように穏やかであり、

朝陽が輝いていた。

 

 

「地震怖かったね」と会話を交わしながら、

今日も太平洋沿岸の病院へ、

患者さんと共に移動する。

 

 

地震が来ても津波が来ても、

私達の仕事に変わりはない。

ただ粛々と、

待っている人達のために走るだけ。

 

 

地震見舞いで御連絡を下さった、

多くの方々に感謝を申し上げますとともに、

被災された皆様にお見舞いを申し上げます。

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寒さが身にしみる季節、

みちのくの私達にとって、

少しでも気温の高い、

南へ御移動される患者さん搬送は、

少しばかり気が楽である。

 

 

「寒晴」の東北道を南下、

神奈川県・川崎市へと向かう。

 

 

神奈川の病院に無事転院は完了、

直ぐ近くの「らーめん熊大路」さんへお伺い、

大休憩を取る事に。

 

 

店構えから、

町中華を彷彿させる、味のある風情。

 

 

らーめん熊・・と付けば味噌ラーメン一択、

チャーシュー味噌を戴いた。

 

 

白味噌ベース、

ボリューム満点、以外にあっさり。

しっかり暖をを取って、

冷え込んでいる「みちのく」へと戻った。

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