才能のカラクリ | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

春は、芽吹き


葉や花が世界に色を与える。


すごいパワーが空気のような色で

渦巻いているのではないかって思えてしまう。



カラーメンタリングと出会って

わたしは、“自分の才能”を認識できるようになってきました。


以来、“自分の才能”を認識することは

とても大切と感じています。



それに伴って

ひとに対する自分のフィルターも変化し、

自分が在りたいスタンスが選べる様になってきています。



これは、

とても自分を生きやすくしてくれています。


 

例えば…


ひとには、

イメージで理解する人と

言葉で理解する人がいます。



イメージを描いて理解するひとは、

言葉が多いと、イメージが追いつかず、理解するのが大変になり、“ピーっ”て、理解することを諦める事があります。擬音がわかりやすく感じるタイプでしょうか。



だけど、

言葉で理解することが当たり前の人にとっては、

説明が細かいほど、理解が出来し、

かえって、イメージすることの方が難しいと感じ、言葉が少ないと困惑するタイプの人もいます。



言葉の理解の仕方は

これだけに留まりませんが、


この対局的なタイプがともに存在していることを理解しないと「どうして…?」という困惑の疑問が互いに生まれ、人間関係を複雑にしていくことがあります。



それは、相手の性格が問題なのではなく、

タイプが違うから理解できないだけで、

相手そのものが悪い訳ではないんですよね。



考え方について様々な存在が在ることを知ると、そのことを理解できるようになります。



人付き合いによって

考えたり、困ったり、悩んでいるひとには、

大切な視点だと、経験から感じています。



今日のブログは、

ひとの気持ちを汲み取る才能が長けている方とお話してて、このテーマについて考えていました。



相手の方に、そんな才能があることをわたしが認識出来なければ、互いに相手の気持ちを汲み取ろうとするがゆえに、自分の気持ちに翻弄し、相手の方を思う余裕を持てず、家に持ち帰って、ややも気持ちが重くなりながらモゴモゴと考えていたと思うんです。



「才能」というのは、

本当に、本当に、当たり前に出来しまうことで、

当たり前がゆえに、なかなか気づけないものだと感じてます。


気づくことが

本当に難しいものだったと、

気づきはじめて実感してます。



「当たり前にしていること」=「才能」


当たり前って、

自分には“普通”で

大きくも小さくもないから

自分には価値が分からない。

それが才能。


っていう認識をまずは持たないと


自分の当たり前・普通の感覚を

相手も、同じく(少なからず)その感覚を持っていて自分の当たり前と感じてる感覚を相手も理解できるという認識を持っていると、誤解が生じやすいと感じます。


そう…自分の当たり前の感覚を持っていない人もいるということを知るって、すごく大切なんだと。




話を戻し、

その相手の方が、とても人の気持ちを汲み取られる能力があって、しかも、エネルギーが強い方であるがため、いろんなことを組し、考え、それを行動にされる。


良かれと思い、先の先まで考えて、

先回りして行動されてる。



これを

“素晴らしいお気遣い”と思う人もいれば

“なんという徒労だろう…”と思う人もいるし、

その方が、そんな先読みをされてることすら気づかない人もいます。



ある出来事があって、

その方は、“どうしてこんなことばかり自分がやらないといけないのか?”と、やり切れない気持ちになりました。


ともすると、

ご自身で招いた現実に見えるのですが、

当事者は本当に悩むのです。


その出来事は、

きっといつも起こる、その方のパターンなのだと思いました。


でも、

それって


はたからは気づけますが、

本人には「謎」なんです。


このパターンがどうして自分に起こるのか。


パターンには気付けるけど、

なぜ起こるのか理解できない。


わたしは何度もそんな経験をしているゆえ、

ものすごく気持ちが分かります。



これは、

一つの方法ですが…


極端な表現かもしれませんが、

人と比べることを悪とせず

人と比べてみる


それで、

自分に対して、“こんなこと!”とか、“こんなこと?”と思っていたことが、実は“才能”だったんだって知ること・認めることがスタートなのだと感じています。



知ったり・認めたりしていくと

“そんな自分がイヤでたまらないDASH!

と思っていたことでさえも、普通に、才能だったことに気づいていきます。


少しずつ自分に変化が起きてきて、

起こる現実も変わってくることに気付きます。


もうですね、

悔しいくらいに

あらゆることが自分のものの見方なんだって感じていきます笑い泣き

あ。わたしの場合ですw)


自分の才能を知ると、

日常で、“これって自分の性分だ”ということにどんどん気づきます。



気づいていくと


何が出来るかというと…


それを

使うか、使わないかを選ぶ

ことが出来るんですキラキラ


これは、

凄いことです黄色い花



今まで無意識でやっていて、

無意識に現実が勝手に動いていたこと(パターン)

に気づくことによって、


これ引っ込めよう”とか、

出来る様になるんです。



自分の才能が

どんな時に有効に発揮出来るか

理解が深まっていく。


すると、

嫌だと思っていたことも

使い方によって価値があるものへと

自らが化することを体験していきます。



自分の才能を認識していくとで、

自然に、

理解し、気づき、そうなっていきます。




それで、

何が起こるかというと、


自分への肯定感が

上がってることに気づくんですDASH!


凄いことです。


自分の肯定感って…


あげようとして

やすやすと上がるもんじゃないと思ってます真顔DASH!



だって、

誰でもなく

否定してきたのは自分ですから。


イヤーって否定してきたものを

今日から「はい!好きです。」

なんて、出来るもんじゃないです



それが、普通だとわたしは思ってます。


出来なくていいんだと思います真顔



自己肯定感なんて、

持とうと頑張らなくて

いいんだと思ってます。


副産物なんだと思います。

(すごい方たちは、自己肯定感大事”とおっしゃるかもしれませんが


どうして

こんなことになっちゃうの?と、

イヤーな気持ちになることがあった時、


ご自身の才能に気づかれるチャンスなのだと思います。


人との違いを知る・考えるチャンスが

同時にそこにあるのだと思っています。



相手を知るのではなく、

自分を知っていくと

もう、ヤーだなって思っていたことが、減っていく現実を体験する。


それは、

人生にとって、

とても大きな恵みのように感じてます。



比べることを良しとされてこなかった人にとってこそ、トライして頂けたら…と勝手ながら思っています黄色い花


そして、

トライされても、うまくいかないことはたくさんある事も同時に踏まえてほしい。


才能だから、思わずやっちゃうのが当たり前。自身に完璧さを求めてしまう人は、(素晴らしい)才能だからやっちゃうんだって自分を許してあげながら、自身の才能を認識していってほしいと…


熱く語ってしまいました真顔



春だからこそウゴウゴしやすくて…

だからこそ、チャンスがいっぱいあって。


相手の方は…

わたしが最近まで苦手だなぁって

感じてた方なんです。


苦手をどーこーしようなんて

思っていませんでした。


悩んでた時は

どーこーしたいと思ってましたw


でも、それを諦めて

自分に目を向けていった。


うぐって心がなる時も

自分に注目していった。


気づくと、

苦手とか思わなくなっている。


とても客観的になっている自分に気付きます。


そんな自分が、少し寂しくも感じますw


でも、やっぱり、

今まで捉われてきたことに捉われず、

違うことに気持ちを向けていける余裕とか、自由をつかめるのは、嬉しいことです。


そして、

なにより

こんな春には


なんでもくったくなく話せる人と話すことが

いちばんの心の栄養だと感じています。


春到来。


黄色い花


愛(めで)ましょう

自分を



the yoko's room / ヨーコ。